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「ピンチをチャンスに」

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株式会社PALTEK
代表取締役会長 高橋 忠仁 氏

1948年 鹿児島県屋久島生まれ
1968年 鹿児島工業高等専門学校 電気科卒業
1974年 中央大学法学部中退
1975年 AIUインシュアランスカンパニー入社
1978年 株式会社MMIジャパン入社
1982年 当社設立、代表取締役社長就任
1998年 当社を株式店頭公開

■ 主張仕入先との契約解消
2005年9月に突然、主要仕入先から契約破棄の申し出を受けました。一瞬で売上の7割を失う、会社存続の危機でした。私どもは半導体商社として、1985年からPLDを主要製品として事業展開してきました。少ないリソースを集中的に投下し成長するという1点集中戦略が裏目に出ました。契約解消まで猶予期間は6ヶ月。同社と契約解消の交渉を重ね、それと同時に新たな仕入先との契約交渉を進め、11月に契約解消について外部と社内に発表しました。

■ ピンチをチャンスに変えた『3つの方針』
私はこのピンチを絶好のチャンスだと考え、社員を前に3つの方針を打ち出しました。
①「雇用を守る」
当社では高度な半導体を取り扱うため、人財が全てです。今回のピンチをチャンスに変えるには社員の力が欠かせません。そのため「雇用は守る」と宣言しました。その宣言とは逆に当社エンジニアにはヘッドハンティングの嵐が吹き荒れましたが、結果的にほとんどの社員は動きませんでした。それは私たちが『PALTEKフィロソフィー』を共有していたからだと思います。1998年のIPO直後作成した『フィロソフィー手帳』は、多様な存在との共生が謳われ、私たちの指針となっています。また、その一方で自己資本比率65%という健全な財務体質も社員に安心感を与えました。売上が1年2年なくても給料は払えます。フィロソフィーでつながっているだけでなく、財務の健全性を有していたことも重要でした。
②「在庫は全数返却する」
いくら財務が健全でも当該仕入先製品の在庫35億円を資金化できないと、経営が行き詰ってしまいます。私たちはお客様の製品開発プロジェクトの早期より製品を提案し、お客様のプロジェクト毎に紐付けをして在庫を管理しています。そのため、どのお客様向けに在庫を保有しているかを仕入先に説明でき、35億円の在庫は1個たりとも不良になりませんでした。
③「ビジネス(既存・新規)の加速」
PLD業界世界第1位のザイリンクス社と2006年1月に契約締結ができ、現在では最も売上の大きな商材に成長しています。契約する際に、競合メーカーからリスペクトされていたことが分かりました。また、顧客も商品ではなく私たちの技術を買ってくれていたので、新たな仕入先でも継続取引ができました。これらもフィロソフィーを実践してきた証だと考えています。これに加え、アナログ半導体事業(NSM社)の買収によって第2の事業の柱も確立できました。制約解消というピンチがチャンスになったのです。その後、新規事業として「デザインサービス事業」、「スマートエネルギー事業」に取り組んでいます。

私の生まれ故郷の屋久島の森には樹齢数千年の樹があります。その巨木を底辺で支えているのは苔です。森にとってはどちらも大切です。私たちは、垂直統合型から水平分業型の移行期の半導体業界で生きてきました。これからの時代を生き抜くには、「多様な存在との共生」が必要です。PALTEKはともに成長していくために、ハード設計・ソフト設計ができる会社・個人のパートナーを募集しています。