「小野正人『起業家と投資家の軌跡』を読む」
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國學院大学
教授 秦 信行 氏
野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。1994年國學院大学に移り、現在同大学教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)
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小野正人氏の『起業家と投資家の軌跡 アメリカにおけるベンチャーファイナンスの200年』が中央経済社から上梓された。本書は、彼が博士論文として書かれたものである。副題にあるように、この本は、米国における新興企業への投資の19世紀以降200年の長きに亘る歴史を、起業家と投資家という2つの視点から数多くの文献にあたりながらまとめ上げた労作といってよい。日本では勿論今まで触れられることのなかった研究であり、米国においても、米国でのベンチャーファイナンスについてこうした形で一貫性をもって総合的に書かれた文献は寡聞にして知らない。
本書を読むと、19世紀の米国では、ベンチャーファイナンスにおいて本格的な投資家と呼べる人達は少なく、起業家と何らかの個人的な関係を有する人達が外部投資家として資金を出しているにすぎない状況にあったようだ。
一方で19世紀は米国の産業革命の時期にあたり、鉄道、鉄鋼、化学、石油といった産業で巨財をなした富豪が登場するに至った。彼らは、その後19世紀の末から20世紀前半にかけて新興企業に個人的に投資を行う存在となり、その中から現在のベンチャーキャピタルに似た投資の仕組みが出来上がっていった。
戦後すぐにボストンに設立されたARD(American Research & Development)は、株式会社(会社型投資信託)組織でベンチャー投資を行ったが、インセンティブ設計などが上手く出来ず結局は優秀な人材が流出してしまう。その後、1950年代末にSBIC(Small Business Investment Company、中小企業投資育成会社)という政府によるベンチャーキャピタル会社も制度として登場するが、本格的なベンチャー投資を担う存在にはなれなかった。
現在の、個人の能力が成否を左右するパートナーシップという組織形態を活用したベンチャー投資の仕組みが定着するのは1970年代、その後1980年前後、ベンチャーキャピタリストという個人を信頼して資金提供する年金基金を制度的に上手く誘導することに成功した結果、1980年代以降ベンチャーキャピタルは1つの産業として米国に誕生することになった、というのが本書による米国ベンチャーキャピタルの簡単な歴史といえる。
こうして米国のベンチャー投資の流れを振り返ってみると、結局のところ米国でベンチャー投資が新事業創造に結び付く形で成果を上げてきた背景には、ベンチャーキャピタリストという個人を信頼して投ぜられる資金と、同時にそれをアントレプレナーという個人を信頼して投資する仕組みがあったこと、つまり、ベンチャー投資の確立には個人という存在がキーワードになっているように思われる。
翻って日本では、組織的ベンチャーキャピタル投資が標榜されてきた。最近個人を軸にしたベンチャーキャピタルも増えてはいるが、日本のベンチャーキャピタルの多くは依然株式会社であり、組織的に運営されている。こうした日本のベンチャーキャピタル投資の在り方はどのように評価すればいいのであろうか。
※「THE INDEPENDENTS」2014年1月号 - p19より