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「「いつか来た道?」」

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國學院大学
教授 秦 信行 氏

野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。1994年國學院大学に移り、現在同大学教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)

ここにきて俄にベンチャー育成の必要性が叫ばれ始めている。長年ベンチャー・コミュニティを見てきた者から見るとまるでデジャブのようだ。

背景は、安倍政権下でのアベノミクス、とりわけその3本目の矢といわれる成長戦略にあることは言うまでもない。

過去日本では何回となくベンチャーが社会的に注目を浴び、短期間の内にその熱が冷えていった。古くは1970年代前半、その頃については筆者も余り記憶に乏しいが、1973年秋の第一次石油ショックを主因とした戦後日本経済初めての大きな経済停滞により、ベンチャーへの期待はあっという間に消え去った。

石油ショックの後遺症の癒えた1980年代前半のベンチャー熱は筆者もよく記憶している。数社の新興企業がマスコミなどにも盛んに取り上げられ、折からの金融緩和も加わり大きな資金が提供された。その間、地銀をはじめとした銀行や損保などが子会社の形でベンチャーキャピタル(VC)会社を相次いで設立、1982年には日本で最初のVCファンドも組成された。株式市場、とりわけ当時存在した株式店頭市場の規制緩和が行われ、新規上場会社も増えていった。

しかし、この動きも長続きせず、1985年秋のプラザ合意後の急速な円高に伴い、注目された新興企業も次々に破綻する結果となった。86年のある日を境に、そうした新興企業への資金供給が突然止まってしまった状況についてはいまだに記憶に新しい。

そして80年代後半のバブルが崩壊し、大企業の構造改革の必要性が言われ始めた1990年代半ば以降、またベンチャーへの熱い期待が寄せられ、この時期には確かに本格的なベンチャー支援インフラの整備もかなり進んだ。この動きは、2000年直後の米国ネットバブル終焉の影響を受けたものの比較的長く続いた。

だが、2000年代後半になり、ベンチャー企業自身の不祥事が相次ぐ。加えて2008年9月のリーマンショックの影響もあって、ここ数年、ベンチャー・コミュニティは一気に冷え込んでしまった。ちなみに、新規株式公開企業数は2006年には188社を直近のピークに2009年には19社に激減してしまった。同時に新興株式市場の株価も低迷してしまった。

ここにきてのベンチャーへの注目は大変喜ばしいことで、新しい施策も打たれる情勢にある。確かに1990年代後半以降は、ベンチャーのイノベーションの担い手としての意義も理解されてきており、それ以前の状況とは違ってはいる。とはいえ、マスコミなどでのベンチャーの取上げ方を見ると、まだキワモノ的に見ている感じがないわけではなく、この盛り上がりが一時的なものになってしまう危険性も皆無ではないのではないか。加えて、少なくとも、2000年代半ばのように、ベンチャー企業家自身のお行儀の悪さから状況を悪化させることだけはないようにと願っている。

【連載15回】イノベーションを核にした成長国家を目指して(秦信行)
【連載2回】イノベーションの担い手としてのベンチャー(秦信行)

【コラム】ベンチャーコミュニティを巡って(秦信行)

※「THE INDEPENDENTS」2013年7月号 - p16より