「10年あれば9年は辛抱」
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株式会社 創業
代表取締役社長 丹後 洋さん
1958年岐阜県高山市生まれ。81年東京経済大学卒業後、日本鉱業(現・JX日鉱日石エネルギー)入社。96年当社設立、代表取締役就任。
住所:東京都渋谷区南平台町15-10 MAC渋谷ビル9F
TEL:03-5459-3155 設立:1996年7月25日 資本金:2,000万円
事業内容:クラウド診断サービスの提供
http://www.big-frontiers.co.jp/
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2007年10月19日、創業の丹後社長に行った起業家インタビューNo.20をご紹介します。≪2011.10 注目の企業紹介 株式会社創業 「ネットワーク障害解析ツールで新サービス展開」≫
―日本鉱業(現ジャパンエナジー)と言えば石油というイメージですがIT関連も手掛けていたのですね。
金属や石油を採掘する会社が初めてダウンストリームとして電子材料を扱う部署を作りました。そこで新卒一期生として入社し、16年間その新規事業を立ち上げてきました。
―しかし結果的に事業撤退、それが起業のきっかけとなりました。
残念ながら大きな会社から見れば小さな事業でした。私の部署はなくなりました。今さらタンクローリーを運転しろと言われてもできません。入社以来、手掛けてきた光ケーブル部品をとにかく続けたいと思いました。
―最初は一人でのスタートで大変だったと思います。
設立直後は毎日の睡眠は2?3時間です。どうしても翌朝までに部品を欲しいというお客様のため、朝まで海外のメーカーと連絡を取りました。住友電気工業と大きなロットでの取引を契機に、他の電装メーカーからの信用も得ることができました。ITバブル最盛期には受注で18億円、社員数20人の規模まで大きくなりました。
―取引先との関係構築が独立してからプラスになったのですね。
お客様の要望に逐一応えて工場に伝えていくことが仕事でした。お客様との関係構築はまさに仕事そのものです。社内の管理や調整に時間をかけろと言われたこともありましたが私は決して納得しませんでした。
―英語をしゃべるのは不得意とのことですが。
新規取引のためメールを17回送ったこともあります。常にポジティブな単語を使うことを心がけています。
―VCから資金調達をされています。
最初は1999年のグローバルベンチャーキャピタルからでした。当時は光関連専門商社でした。ITバブルが弾けた2001年にオリックスキャピタルから現在の映像伝送装置に関するビジネスモデルで出資いただきました。
―ビジネスモデルを大きく方向転換されたのですね。
映像伝送装置を少し手掛けてはいましたが、部品商社と装置開発では全く仕事内容が違うため20人の社員が全く使えなくなりました。要はリストラを行わなくてはならず、それは今までで非常に辛かったことの一つです。
―そのようなつらい中、丹後社長の支えとなったのは何でしょうか。
それを支えたのは「事業とはうまくいかないのが当たり前だ」という考えです。石油や金属という相場の中で生きてきた日本鉱業の人たちは、「10年のうち9年は辛くて良いことがあるのは1年あればいい」という思想です。当社もやっと10年です。近く花が咲くかもしれませんね。「ここまでやってきた」という想いはとても強いです。
―沖縄サミットに際して貴社の映像伝送装置がNHKに導入されました。
NHKに導入されるということは当社にとって、業界で認知され、大きな飛躍のチャンスとなる大変意義のある取引でした。しかしアメリカ製部品に不備があり、契約上、賠償金を当社が負うことになってしまったのです。
―全責任を負ったのですか?
夜中に部品取替え工事を行い、総額1億円にもなった賠償金を払い終えるまで3年間かかりました。本来はアメリカのメーカーに責任があるのですが、部門毎別の会社に売却してしまいました。非常に苦しい時期でしたが、結果的には賠償金も完済しました。
放送業界の方が今当社に対応してくれるのは、その時に最後まで誠実な対応したからだと思っています。小さい会社だけど、導入したものには最後まで責任持つ会社だと思ってくれたのでしょう。取引に関わったメーカーから責任転嫁もされました。しかし、その会社にも当社を応援してくれる人がいてその方のためにも、この間違った事実に対しても、絶対に負けたくない、絶対に潰れずに払いきってみせる、と強く思いました。
―社員は皆さんついてきましたか?
先がないと合理的判断で抜けて行った社員と、もう少し頑張ろうという社員に分かれました。ただ辞めていく社員たちも皆、部品交換を全てしてくれました。残りの社員も、その後、どうしても見送らざるを得ない辛い状況もありました。賠償金を払うくらいなら辞めてもらうしかない社員たちにお金を渡したいと心底思いました。
―よく踏ん張られましたね。
会社は潰れたらそこでお仕舞いです。我々のような小さな会社は頭を下げる機会が多いと思います。でも頭下げてでもやり続けなければなりません。チャンスはいつ来るか分からないわけですから。9つ負けても最後に1つ勝てばいい。私には逃げ場がなく、最後に自分を救うのは自分自身だと思っています。
―最近は貴社の伝送技術を活かしたコンテンツ事業もスタートしました。
株式会社NKBとの企画で駅の中で動画を流す事業をスタートしました。有楽町のスタジオから横浜みなとみらい駅までIP網でデータを送ります。いかに細い帯域で送ることができるか、現在の3分の1、10メガが目標です。さらに5メガを目指して家庭向け配信することが最終目標です。
―株式会社リミックスポイント(マザーズ3825)と事業提携されましたね。
提携により動画広告システムを提供するだけでなく、編集やコンテンツ配信まで業務を拡大していけます。当社はデータをA点からB点に送る技術、リミックスポイントはそのデータを管理する技術。それを合わせることでワンストップサービスを提供することができます。
―本日はありがとうございました。最後におすすめの本を教えてください。
『成功する人がもっている7つの力』石井貴士著(中経出版)です。文字も大きい150ページ程度の本ですが、これから起業する人達は是非読んで頂きたいですし、私を含めて起業して現在進行形の人達にも「起業」の原点を改めて確認できる良書だと思います。
※全文は「THE INDEPENDENTS」2007年11月号にてご覧いただけます