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「カプセルホテルのデザイン戦略」

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株式会社キュービック
代表取締役 油井 啓祐さん

1970年神奈川県横浜市生まれ。88年私立市川高校卒業。95年関西学院大学商学部卒業後、ジャフコ入社、投資部配属。99年キュービック代表取締役就任。


住所:東京都台東区花川戸2-7-3 設立:1999年 資本金:1,000万円
http://9hours.jp/

1995年 おもてなし

スティーブ・ジョブスよりアップルを発掘したアーサーロックに憧れてベンチャーキャピタルに就職した。ジャフコでは現社長の豊貴さんが上司で、カカクコム前社長の穐田さんがインストラクターだった。自分は4年半、そこで9社のベンチャー企業に投資をした。その時に出会った経営者には大いに影響を受けた。今の仕事に直結する部分で言えば北海道のウインザーホテル洞爺の窪山社長。石ノ森章太郎の「HOTEL」という漫画のモデルになった伝説のホテルマン。彼がNYのホテルで働いていた時のホスピタリティの話を聞いた。日本のホテル業界で安易に言われる「おもてなし」とは全く違う凄まじい世界。今、自分は京都で「9hours(ナインアワーズ)」という新しいコンセプトのカプセルホテルを運営している。自分たちは安価なインフラ的サービスを目指しているので、有償であるべき人的サービスは提供できない。だから「おもてなし」とは一切言わず、24時間ひたすら掃除し続け、「快適な眠り」を軸に、世界に通用する新しい宿泊スタイルを追い求めている。


1999年 父の遺産

ある日突然父親が亡くなった。父は自分が社会人になる6年前に秋葉原で何の変哲もないカプセルホテル業を始めた。銀行の勧めだった。それまでは浅草で20年間、立体駐車場を運営していた。開業したのは1989年で、不動産バブル時代後1・2年は良かったがそれ以降は前年を上回ることはなかった。

父が死んだ日に決算書を見たら借金が5億円あった。キャッシュは1000万円。毎月赤字だった。誰に聞いても相続は放棄しろと言われた。けれど、自分にはその勇気がなかった。浅草の駐車場では小さい頃からよく遊んでいたし、秋葉原のカプセルホテルでは学生時代にアルバイトもしていた。知った顔も多かった。そういうものを捨てる勇気がなかった。それで後先考えず相続した。

銀行とさんざん揉めたが、結局50年のリスケをしてもらった。そこから約定通り返済していった。だが商売はうまくいってなく、カプセルホテルという業態も嫌いだった。貧乏人が泊まる場所だと思っていた。そこで一発ITベンチャーを立ち上げて上場益で借金を返そうと思った。当時28歳。ジャフコの同期で最も優秀だった加藤と組みネットスーパーを立ち上げた。師と仰ぐプロフェッショナルな経営者にも応援していただいた。結局1年間頑張ったが駄目だった。投資家には出資金をお返して、その事業は解散した。それからは幾つかの会社に勤め、いろいろなことを勉強させてもらった。そのうち金融機関が不良債権処理を急ぎ始めるようになり、2004年秋にはサービサーを経由して自分で自分の債務を買い取ることが出来たため、大幅に債務が削減され、ようやく財務問題が片付いた。

そこで、カプセルホテル事業に本腰を入れて向き合うか、あるいは全部捨ててしまうか、自由な発想で考えた。自分では自身の気質は起業家ではなく、組織の中で成果を上げるサラリーマンタイプだと思っている。漠然とではあるが世界に輸出できる事業に成長するのではないかと思うに至った。


2005年 空白地帯

秋葉原の店は、大浴場やサウナもなく、食事する場所も小さい、宿泊特化型のカプセルホテルだった。競合先とは正面から戦っても勝てる要素は全くなかった。そこで今までカプセルホテルに泊まった事がない人にアプローチするしかないと考え、集客を外国人や女性にフォーカスした。するとそこは全くの空白地帯だった。女性は都心で安く泊まれるホテルを探していた。外国人は、立派なホテルよりカプセルホテルに泊まりたいという積極的なニーズがあった。海外にこんな施設はない。彼らのカプセスホテルを見る目は、安いだけという日本人のイメージとは違い、機能性を追求したクリエイティブなものとして捉えていた。売上は2005年に7,000万円だったのが、2008年には1億6,000万円になった。固定費が8割の商売。稼働率が損益分岐点を超えると売上のほとんどが利益になった。

現場の改善はたくさんあった。インフラ設備には嗜好性を一切排除して本当に必要な機能のみ付け加えていく。カップヌードルやビールの自販機は撤去、無料のパソコンを置き無線LANを繋げた。コンセプトがインフラであるから誰もが無料で使いたいものをチョイスして置き換えていった。ミネラルウォーターも無料にした。

支配人は僕が小学生になる前からいた人で、父の死後も無条件に一緒に歩いてきてくれた人。現場は自分の城だからといって、自販機ひとつ撤去するにも相当揉めた。けれどやらなくてはならない。自販機がその面積を使っていくらの収益を上げているのかを計算すれば、そこに意味があるかは自明の理。売上が落ちてもなぜ会社が残っているかといえば自分が借金を背負っているから。今思うと生意気だった。現場は誰が守っているかなんて考えていなかった。割に合わない家賃で泊まってもらって何か意味があるのか。これまでのリピータ客の要求に応えているだけでは明日はない。最後は押し切った。結果はすべて自分の責任であると。

※全文は「THE INDEPENDENTS」2011年7月号 - p12-14にてご覧いただけます