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「消費者金融業とIPO」

公開


元野村證券株式会社
公開引受部 出原 敏 氏

野村證券で長い間IPO業務に係わる。2008年定年退職し、現在は非常勤監査役及びIPOコンサルティング等の業務に従事。

今年のIPOは22社となりそうです。昨年より社数にして2社増ですが、調達金額では第一生命と大塚ホールディングスもあり大幅増となります。しかし、まだまだ寂しい限りです。世界のIPO市場が回復する中、ひとり日本のみ低迷が続いています。来年こそは本格的なIPO回復元年となることを期待しています。

ところで去る9月28日に武富士が会社更生法の手続きを行い倒産しました。負債総額は約4,300億円とされます。過払い請求への対応の中、他の同業者が大手金融機関の支援を得られたのに対し、最後まで金融機関からの本格的な支援が得られなかったことが致命的となったようです。かつてはIPOができない業界として、消費者金融業、商品取引業、パチンコ業が挙げられていました。現在では消費者金融業と商品取引業はすでにIPOしています。法的な手当てがなされたためと言われています。

さて消費者金融業(貸金業、古くはサラ金)は1970年代から乱立し始め、これと並行して金利、取立て方法等について社会問題化し始めます。その中で大手と言われるところは、業績も向上し、社会的認知を求めてIPOを望むようになってきました。しかし、当時は業界を規制する法律は無いに等しい状態にあったため、消費者金融業のIPOには、新法の制定とこれに基づく業界団体の設立が条件とされました。貸金業者が経済社会で健全な役割を果たすべく、国会でも検討され、1979年5月には法案が提出されます。金利面で調整がつかず、成立までには4年かかると言う難産でしたが、大幅な修正のうえ、1983年4月28日に貸金業の規制等に関する法律(貸金業法、俗にサラ金規制法)としてようやく成立(同年12月19日施行)しました。ただこの法律は利息についてグレーゾーンを残すという不完全なものでした。翌年には早速、業界団体として各県に貸金業協会、全国組織として全国貸金業協会連合会(2006年の新法で貸金業協会に変更)が設立されました。業界団体の設立により、消費者金融業のIPOは直ぐにでも解禁されると思われました。しかし新法施行後の社会の反応を見極めるために、IPOまでにはさらに約10年を要することになりました。長い準備検討期間を経てようやく1993年9月に業界初としてプロミスと三洋信販が、翌10月にアコムが店頭公開しました(武富士は1996年8月店頭公開)。その後は毎年2~3社のIPOが続きました。なお当時は新しい業界のIPOは、まずは店頭市場からというルールがあり、店頭での状況を判断の上、上場に進むことができました(上記各社は1994年12月東証上場)。従来グレーゾーン金利については、利息制限法を超えた超過部分も債務者が任意に支払ったものであり、みなし弁済として有効とされて来ましたが2006年1月13日の最高裁による判断は貸金業界を一気に苦境に立たせることになりました。支払いの任意性について否定されたのです。支払い差額が過払い額として弁護士事務所、司法書士事務所からも格好の事案として取り上げられ多額の請求がなされるようになったのです。なお最高裁判決を受け2006年12月には貸金業の適正化、グレーゾーン金利の廃止などを盛り込んだ新貸金業法が制定(今年6月まで順次施行)されています。

消費者金融業は、法律の制定あるいは判決により上場の道が開かれることもあれば、上場廃止に追い込まれることさえあるという事例となってしまいました。

※「THE INDEPENDENTS」2010年12月号より