「企業事件とIPO審査ーその2」
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元野村證券株式会社
公開引受部 出原 敏 氏
野村證券で長い間IPO業務に係わる。2008年定年退職し、現在は非常勤監査役及びIPOコンサルティング等の業務に従事。
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金融ビッグバンは、金融・証券界に大変革をもたらしました。それまでの原則規制から一挙に原則自由に180度の転換がなされたのです。自己責任を原則として、これを担保するため、ディスクロージャーの充実と徹底、違反した場合の罰則の強化が図られました。証券会社もそれまでの免許制から届出制に移行し、引受業務も容易に参入できることになりました。また、取引所間競争が促され、IPOについても各取引所に上場推進部隊が置かれて、IPO誘致合戦が行われることになりました。ビッグバンにより上場審査も大きく変わりました。それまであった規制が原則自由に大転換され、長年悩まされた公開前規制は、継続保有あるいは開示を条件に原則自由となりました。合わせて、取引所の審査も審査内容の開示などにより、審査の透明性が図られるようになりました。とりわけ新興市場は審査の迅速化を図るため、審査の多くを引受証券会社に委ね、取引所自体の審査は簡単なものに変わりました。またIPOの準備についても、申請会社の負担を軽減するため、実績よりも将来性重視、作成書類の削減などの配慮がなされました。IPOが容易で身近なものに変わってきたのです。しかし、これらの施策は、後に起こる数々の企業事件の呼び水となってしまいました。
一方、この時期ITなどの新産業育成のために日本でも新興企業向けの市場を設けるべきだとの声に押されて、当時隆盛を極めていた米国のナスダックを参考に、ビッグバンの最中の1999年11月に東証のマザーズ、2000年6月に大証のナスダック・ジャパン(その後ヘラクレス、現ジャスダック)が相次いで創設されました。その他の取引所もこれに続いたため、新興市場の創設ラッシュとなりました。
しかし、期待されたマザーズはスタート直後からいきなりつまずくことになります。マザーズ上場1号は1999年12月22日にインターネト総合研究所社とともにIPOした、音楽配信会社のリキッドオーディオ・ジャパン社でした。同社はIPO後間もない2000年10月に大神田社長(当時)が監禁容疑で逮捕されるという事件を起こしてしまいます。この事件から同社の反社会的勢力との関係が白日のもとに曝されることになりました。内容がかなり深刻なものであったため、東証は市場の健全性の確保から、直ちに反社会的勢力の介入を排除するべく、主幹事証券会社に役員・株主・取引先などの履歴・属性のチェックを義務づけ、申請会社に対しては反社会的勢力との関係がないことを示す確認書の提出を求めることにしました。また、疑念が生ずる場合は、東証は警察当局の協力を得て自らがチェックすることにしました。しかし、この頃のチェックは手探り状態であり、必ずしも十分ではなかったように思います。現在ではチェックは厳しくなり、最重要な審査項目となっていると聞いています。
金融ビッグバンと新市場の創設により、IPOは劇的な変貌を遂げることとなりました。
半面、新興企業の異常なほどの高株価、多額の調達資金と知名度、加えて経営者の若さとガバナンスへの理解不足が、反社会的勢力につけ入る隙を与え、その後においても、新興企業が関係する企業事件が相次ぐようになりました。残念ながら、新興市場は企業事件に格好の舞台を提供することとなってしまいました。
(その3に続く)
【IPOアラカルト第11回】企業事件とIPO審査ーその1
※「THE INDEPENDENTS」2010年9月号 - p17より