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「企業事件とIPO審査ーその1」

公開


元野村證券株式会社
公開引受部 出原 敏 氏

野村證券で長い間IPO業務に係わる。2008年定年退職し、現在は非常勤監査役及びIPOコンサルティング等の業務に従事。

「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」、これは石川五右衛門の辞世の句ですが、残念ながら今も犯罪は尽きません。企業においてもセクハラ、恐喝、横領、偽装から疑獄事件まで、話題に事欠かないのは情けないというしかありません。IPOに関連する事件も多く起こっています。しかも昔よりも現在の方が増加しているのです。

しかし、こうした事件がIPOに影響を与え、その審査を確実に厳しくさせてきました。

IPOに関連する事件を振り返ってみますと、多少古くなりますが、1970年頃はハウスメーカーが相次いでIPOした時代でした。そうした中で1972年に殖産住宅事件が起こりました。これは殖産住宅社の東郷社長がIPO前に既存の株主から株式を買い集め、特定の政治家にこれを譲渡したものです。譲渡を受けた株式をIPO後売却し、大きな利益を得たため、政治問題化しました。結局は東郷社長が所得税法違反で追徴税を受けることで決着しましたが、この事件を契機に株式の公開前規制ルールが導入されました。公開直前期(1年)における株の買い集めを禁止し、合わせてこの期間の第三者割当増資は前半6ヶ月が規制期間、後半6ヶ月が禁止期間となりました。
その後1975年に日本熱学事件が起こりました。この当時はまだ冷房機が高価で、一般にはそれ程浸透していなかった中、日本熱学社はコインクーラー(100円でOO分使用可能等)が大いに受けて急成長しました。しかし、クーラーの家庭への普及が進むにつれ、急速に業績悪化、時代の寵児であった同社は粉飾に手を染めてしまいました。直前に1部上場を認めていた東証はすっかり怒ってしまい、以後は急に上場審査が厳しくなってしまいました。この時は業務のフローチャートを業務管理規程に従って作成させ、内部けん制が働いているか、また実際に規程通り運用されているかを厳しく審査されました。1年以上の運用期間が求められたため、多くの企業が運用不足で止む無く再申請ということに陥ってしまいました。
そして、1988年にIPO関連事件の中で、その最たるものであるリクルート事件が勃発しました。この事件は政官財を巻き込んだ大疑獄事件に発展しました。これはリクルート社の関連会社であるリクルートコスモス社の株式を、時の総理大臣を始め、大臣、大物政治家、政府高官、著名な財界人等がIPO前に譲り受けていたことが、IPO後に判明、広範囲にわたる贈収賄事件に発展しました。竹下首相が辞職したほか、多くの関係者が起訴されるまでに至りました。そしてこの時は、株式の発行及び移動について1年の規制期間と1年の禁止期間が設けられ、殖産住宅事件で導入された公開前規制が1年から2年へとさらに強化されました。また、合わせて、公開価格の適正化のために、一般投資家からの入札制度も導入されました。

1993年には、教育出版関連のVBとして当時もてはやされたアイペック社が、IPO後わずか2年で粉飾が発覚、倒産してしまいました。大物検察OBが常勤監査役になっていたこともあり社会問題化しました。この事件はIPOの審査にはそれまでほとんど対象とならなかった、監査役の機能について見直される契機となりました。

そして、1996年から2001年にかけて、金融ビッグバンと言われる金融制度全般に係わる、大規模な改革と規制緩和が行われました。そしてこの中でIPOの制度も大きく変わることとなりました。

(その2に続く)

※「THE INDEPENDENTS」2010年8月号 - p17より