アイキャッチ

「「米国VC投資の発展」」

公開


國學院大学
教授 秦 信行 氏

野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。1994年國學院大学に移り、現在同大学教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)

ものの本によると、米国でのベンチャーキャピタル(VC)の起源は1920年代から30年代であり、財閥といわれる資産家家族や個人が将来有望そうなスタートアップ資金を投資したことに始まったという。その流れは第二次世界大戦後も続き、1960年代までの米国では、VCの出し手は基本的には個人であった。その後必要資金量の拡大に伴って、VCの中心は現在のような機関化された、仕組まれた資金になっていった。

その走りが1946年に設立されたARD(American Research and Development)である。ただ、ARDは現在のようなリミテッド・パートナーシップ(LP)型ファンドではなく会社型投資信託であったが、広く投資家から資金を集め投資を行った。LPファンドが登場するのは1960年代であり、その後米国でのVC投資の主要なビークルとなっていった。
1960年代以降の米国でのVC投資の発展過程を年間投資額で見てみると、3つの大きな盛り上がりが観測される。

1つ目は1960年代、ただ、この盛り上がりは左程大きなものではない。主たる背景は、半導体産業の台頭と1958年にスタートしたSBIC(中小企業投資育成会社)制度にあると考えられる。特に後者ができたことによって、政府資金の利用による投資活動が可能となり、全米で一時700社近いSBICが作られた。

2つ目が1970年代末から80年代中頃にかけてで、これはかなり大きな盛り上がりであった。これでVC投資は米国に定着したといえよう。背景は、PC、移動体通信、バイオといった新技術分野の登場と、政府の研究開発資金の中小企業への優先的な配分などを決めたSBIR(中小企業技術革新)制度、さらには、キャピタルゲイン課税の引き下げ、運用規制の緩和による年金などVCファンドにとって新しい大口出資者の出現にあった。

そして3つ目が1990年代後半から2000年にかけて。この盛り上がりの背景は何といってもインターネットの民生利用によるIT関連産業の拡大にあった。

こうして米国のVC投資の戦後の発展を見てみると、その発展の要因として、新技術による新しい成長分野の出現、年金基金など新しい資金の流入、そしてSBICやSBIR制度といった政府による支援、この3点を指摘できよう。

シリコンバレーの成功要因は、「ワシントンから遠かったこと(つまり政府による干渉が少なったこと)」と冗談でよく言われるが、真偽はどうなのであろうか。米国のVC投資の発展過程を見る限り、政府の役割は小さくないように見える。

個々の具体的な政策はともかく、1990年代前半のゴア副大統領によるスーパー情報ハイウェイ構想や現在のオバマ大統領によるクリーンテック戦略といった国家戦略、国家の方向性の明確な提示は、将来のVC投資分野を示唆する上で重要な意味を持っているといってよい。日本の民主党にもそうした打ち出し方を望みたい。

※「THE INDEPENDENTS」2010年6月号 - p18より