1 はじめに
今回のコラムでは、特許庁の審査の運用に基づいて(「AI関連技術に関する事例について」(2024年・特許庁)、「AI関連技術に関する事例の追加について」(2024年3月13日・特許庁審査第一部調整課審査基準室))、マテリアルズ・インフォマティクスについて紹介します。以下の設例を紹介し、AIによりある機能を持つと推定された物の発明が、どのような場合に記載要件を満たすとされ、どのような場合には満たさないのか、について、考えていきます。
2 設例(以下の特許出願は、特許となるでしょうか。)(※1)
(1) 特許明細書等の出願書類
発明の名称:蛍光発光性化合物 特許請求の範囲【請求項1】 発光ピーク波長が540nm以上560nm以下であり、蛍光寿命が5μs以上20μs以下である発光特性を有する、蛍光発光性化合物。 【請求項2】 化合物Aである、請求項1に記載の蛍光発光性化合物。 【請求項3】 化合物Bである、請求項1に記載の蛍光発光性化合物。 発明の詳細な説明 蛍光発光性化合物は、有機EL素子の発光材料等に使用され、化学構造が異なるさまざまな化合物が公知であるが、発光ピーク波長が540nm以上560nm以下であり、蛍光寿命が5μs以上20μs以下である発光特性を有するものは知られていなかった。本発明は、機械学習の技術を用いて前記発光特性を有する蛍光発光性化合物を提供しようとするものである。 機械学習について、以下の実施例1が記載されている。 実施例1:公知の蛍光発光性化合物の化学構造と発光特性とを対応させたデータを学習データとして機械学習を行い、発光特性から化学構造を予測可能な学習済みモデルを作成した。そして、上記学習済みモデルを用いて、発光ピーク波長が540nm以上560nm以下であり、蛍光寿命が5μs以上20μs以下である発光特性を有する蛍光発光性化合物の化学構造を予測させたところ、新規の化学構造を有する化合物A、Bが予測された。 機械学習によって予測された化合物について、以下の実施例2が記載されている。 実施例2:化合物Aの製造方法を示し、その製造方法を用いて化合物Aを製造した。 そして、当該化合物Aの発光特性を測定したところ、発光ピーク波長が545nmであり、蛍光寿命が12μsであった。 (出願人は、発明の詳細な説明の中で、機械学習モデルの製造方法及び使用方法が具体的に記載され(実施例1)、機械学習モデルの予測精度も実際に製造した化合物で検証されていることから(実施例2)、当業者であれば上記機械学習モデルを製造及び使用することが可能であり、化合物Aに限定されず、発光ピーク波長が540nm以上560nm以下であり、蛍光寿命が5μs以上20μs以下である蛍光発光性化合物の化学構造を予測させるという発明を実施できることを主張している。また、予測精度が検証された上記モデルを用いていることから、化合物Bも化合物Aと同様の効果を奏し得ることも主張している。) |
(2) 前提
化合物の発明は、一般に化学構造式の情報からその化合物をどのように製造するのか、どのような活性を有するかを理解することが比較的困難であることが出願時の技術常識である。また、化合物の技術分野において、学習済みモデルの予測結果が実際の実験結果に代わりうることは、出願時の技術常識でないものとする。 そして、化合物Bの化学構造は、化合物Aや公知化合物の化学構造と類似しておらず、これら化合物の製造方法や発光特性から化合物Bの製造方法や発光特性を推測することは困難であるものとする。 |
(3) 特許出願の帰趨 (※2)
上記内容を出願した場合、請求項1及び請求項3にかかる発明は、実施可能要件(特許法36条4項1号)及びサポート要件(特許法36条6項1号)を満たさず、特許されません。
他方、請求項2かかる発明は、実施可能要件(特許法36条4項1号)及びサポート要件(特許法36条6項1号)を満たします。(※3)
他方、請求項2かかる発明は、実施可能要件(特許法36条4項1号)及びサポート要件(特許法36条6項1号)を満たします。(※3)
3 本事例から学ぶ留意点
AIによりある機能を持つと推定された物の発明が、サポート要件及び実施可能要件を具備するには、実際に製造した物が明細書等に記載されている、又は、AIの示す予測値の予測精度が明細書等で検証されており、AIによる予測結果が実際に製造した物の評価に変わり得る技術常識が存在することが必要です。本事例では、請求項2にかかる発明については、実際に製造した物が明細書等に記載されているので、要件を具備しますが、請求項1及び3にかかる発明は、予測精度が明細書に記載があるものの、AIによる予測結果が実際に製造した物の評価に変わり得る技術常識が存在しなかったので、要件不備となりました。マテリアルズ・インフォマティクスの分野は、非常に関心の高い分野であり、特許取得のニーズも高いので、実務上、上記留意点を考慮して進めていくことがよいでしょう。
<注釈>
(※1) 本文中枠内は、「AI関連技術に関する事例について」(2024年・特許庁)26~28頁から引用、図表は「AI関連技術に関する事例の追加について」(2024年3月13日・特許庁審査第一部調整課審査)31頁から引用。
(※2) 特許出願の帰趨の詳細は、「AI関連技術に関する事例について」(2024年・特許庁)27~28頁参照。
(※3) 本コラムは、実施可能要件及びサポート要件を説明する目的であり、詳述しませんが、化合物Aの特定の程度によっては、明確性要件が問題となり得ます。
(※2) 特許出願の帰趨の詳細は、「AI関連技術に関する事例について」(2024年・特許庁)27~28頁参照。
(※3) 本コラムは、実施可能要件及びサポート要件を説明する目的であり、詳述しませんが、化合物Aの特定の程度によっては、明確性要件が問題となり得ます。
以上
※「THE INDEPENDENTS」2025年3月号 P.11より
※掲載時点での情報です
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弁護士法人 内田・鮫島法律事務所 弁護士/弁理士 高橋 正憲 氏 2004年北海道大学大学院工学研究科量子物理工学専攻修了後、(株)日立製作所入社、知的財産権本部配属。2007年弁理士試験合格。2012年北海道大学法科大学院修了。2013年司法試験合格。2015年1月より現職。 【弁護士法人 内田・鮫島法律事務所】 所在地:東京都港区虎ノ門2-10-1 虎ノ門ツインビルディング東館16階 TEL:03-5561-8550(代表) 構成人員:弁護士34名・スタッフ16名 取扱法律分野:知財・技術を中心とする法律事務(契約・訴訟)/破産申立、企業再生などの企業法務/瑕疵担保責任、製造物責任、会社法、労務など、製造業に生起する一般法律業務 http://www.uslf.jp/ |