アイキャッチ

「インデペンデンツクラブ・事業計画発表会の歴史」

 


長岡大学 名誉教授
原田 誠司 氏

東京大学大学院(経済学)終了後、民間シンクタンクを経て、1990年から私立大学(那須大学、長岡大学等)に在籍。専門は地域産業政策・ベンチャー企業論等。著書論文:『知識経済とサイエンスパーク』(2001年)、『新・川崎元気企業』(2013年)など多数。起業経験:婦人服関連のベンチャー企業=「NTM企画株式会社」設立(1998年)。



1 「事業計画発表会」開始の背景

 「事業計画発表会」は、1997年に、松田修一氏(当時、早稲田大学教授)と杉田純氏(当時、三優監査法人統括代表社員)が開始した事業です。その経緯は、次の通りです。
 松田氏(1943年生まれ)と杉田氏(1950年生まれ)はともに公認会計士の資格を取得し、早稲田大学商学研究科の大学院に在籍(松田氏は博士課程、杉田氏は修士課程)し、出会い、監査法人(サンワ事務所)でも同僚でした。その後、松田氏は早稲田大学教授として、杉田氏は自身の会計事務所(1986年に三優監査法人設立)を立ち上げ、活躍します。
 松田氏は、企業調査等から、<ハイコスト国家・日本の救済者=ドライバーはベンチャー企業である>との信念を抱き、関係者に呼びかけ、1993年に、早稲田大学アントレプルヌール研究会を設立しました。杉田氏、秦信行氏(当時、國學院大學教授)も同研究会メンバーです。同研究会は、松田氏が中心となり、ベンチャー起業・支援論(1994年に『ベンチャー企業の経営と支援』、1996年に『シリーズ:ベンチャー企業経営1 起業家の輩出』を日経新聞社から刊行)を立て続きに世に問います。
 ここに参加した研究者メンバーが中心になり、1997年に、日本ベンチャー学会が設立されます(初代会長:清成忠男法政大学教授、松田氏は第2代会長)。
 こうしたベンチャー企業の研究面での支援の一方、ベンチャー企業の実践面での支援として、松田、杉田両氏により、同1997年7月から「事業計画発表会」が開始されました。

2 「事業計画発表会」の必要性とは?

 杉田氏は、三優監査法人を軸に、税務、監査、コンサルティングと事業の幅を広げるなかで、ベンチャー企業支援の第一人者となった松田氏のアドバイスを受けながら、株式上場=IPOの支援・指導に注力し(IPO講座の講師、相談・支援等)、「IPOの雄」と評価されるまでに発展します(IPOのコンサルティングは優に100社を越え、上場時にサインした企業は60社を越える)。監査法人として成長・発展するためには、上場企業を増やさなければならないからです。三優監査法人設立から10年近くかかりました。
 こうした活動の中で、杉田氏は、アーリーステージのベンチャー企業の資金調達環境ができていないことを痛感し、IPOを増やすには、ここを助ける必要があると考えました。そこで、ベンチャーキャピタル(VC)やコンサルタントに対して事業計画を発表し、資金調達に繋げる「事業計画発表会」を始めたわけです。
 かくして、「事業計画発表会」は、杉田氏と松田氏のIPO支援・指導活動のなかから生まれた実践的必要性として、つまり、<ベンチャー企業をIPOにまで成長・発展させる不可欠の支援事業>として生まれた、のであります。この実践的必要性が、「事業計画発表会」が長期に継続・発展してきた要因と言えます。

3 「事業計画発表会」の推進体制

 杉田、松田両氏は、外部の専門人材を確保し、かつ専門組織を構築し推進します。
 長年の証券・VCの役員経験者である宮本晴夫氏は、1997年7月勧角インベストメント(株)を退社、知人の紹介で、三優監査法人の渉外業務につくことが決まります。その後、同1997年10月開催の第3回事業計画発表会に初めて参加し、杉田氏から、この事業計画発表会の発表企業及び参加者の開拓の相談を受け、取組むこととなりました。取組みの柱は、2ヶ月1回の開催の定着化、参加者の増強、発表企業の発掘の3点でした。
 事業推進組織としては、三優監査法人とは別法人会社のSBCベンチャー・サポート(株)を設立し、宮本氏が専務取締役となり、事業を始めました。ベンチャー企業の支援と監査を同じ監査法人が行うこと(二重事業)は違法性(独立性違反)の疑いが濃いということで、別会社にしました。

4 「事業計画発表会」の概要

・目的(狙い)・・・事業計画発表会は、資金調達等の支援により、IPOまで、企業の成長・発展を促進することが狙いです。
・発表会の概要・・・2ケ月に1回開催し、<発表企業は3社、1社持ち時間50分間(発表30分 質疑応答20分)、松田氏による全体総括30分間>で進めました。準備作業として、発表企業には、あらかじめ、一定のフォーマット(数ページ)に事業計画等を記入して提出して貰いました。この時のフォーマット雛型が後のインデペンデンツクラブ「事業計画概況書」の原型になりました。当時は、記入事項は比較的簡単で、将来の夢を記入してもらいました。会場は、新宿センタービル等の会議室を使用しました。また、発表会終了後に、交流懇親会(1.5~2時間)を開催し、支援等の情報交換を深めました。
・発表企業のメリット・・・「ベンチャーの世界の第一人者でありベンチャー学会副会長でもある松田氏にお会いし、親しくビジネスプランを評価してもらえること、また、杉田氏からは、監査法人の立場からの指導が期待出来ること」、さらに、参加したVCやコンサルタントからの支援も可能になることを訴えました。
・発表企業の開拓・・・基本的には宮本氏が担い、知人・友人の総動員で開拓しました。宮本氏の人脈が役に立った、と言えます。
・主な経費・・・1回の開催につき、事務経費と会議室料で約100,000円、懇親会費が約200,000円、計約300,000円です。収入は、発表企業1社約70,000円、有料参加者1人5,000円(招待者除く)で、合計約300,000~350,000円(参加者全体の半数で20~30人)で、収支はほぼトントンでした。

5 インデペンデンツクラブへの事業承継-さらなる発展へ!-

2011年、宮本氏は高齢(73歳超)となり、三優監査法人関係での適当な引継ぐ部署・対象者が見当たらないため、松田氏と杉田氏に相談したところ、共に「事業計画発表会」の解散には反対でした。早稲田大学の後輩で、(株)インディペンデンツの社長である國本行彦氏と相談するようアドバイスを受けました。同社の國本氏と高田諭氏(取締役)は、事業計画発表会の常連参加者であり、宮本氏は直ちに、事業引継の相談を行いました。

★インデペンデンツクラブへの事業承継
 宮本氏は、事業引継ぎにあたっての条件等は全くつけず、自由に新しいやり方でやってもらうことを提案しました。國本氏は数日間の熟慮検討の末、「これまで通り宮本氏が手伝う」ことを条件に事業引継を了解しました。
 國本氏は、日本合同ファイナンス(株)(日本の代表的VC、現・ジャフコ)を経て、2006年に(株)インディペンデンツを設立し、2008年から、インデペンデンツクラブを発足、企業研究会を東京や大阪で開催していました。そのため、SBCベンチャー・サポート(株)(宮本氏)から(株)インディペンデンツ(國本氏)への事業継承が円滑に進んだ、と言えます。2011年7月の第83回事業計画発表会(330社目)から、インデペンデンツクラブの運営になりました。
 國本氏は、事業の枠組みの基本は継承しましたが、2ヶ月開催から毎月開催、会費制の導入(発表企業・参加者の無料化)により、より参加しやすい仕組みへと発展させました。

★認定NPO法人インデペンデンツクラブへの発展
 さらに、2015年11月に、特定非営利活動法人(NPO法人)インデペンデンツクラブを設立し、(株)インディペンデンツの事業計画発表会を引き継ぎます。(株)インディペンデンツは、(株)Kipsに名称変更し、現在の<NPO法人インデペンデンツクラブ-(株)Kips>の体制ができます。
 NPO法人インデペンデンツクラブの初代の代表理事には松田氏が就任し、2019年以降の第2代代表理事には、秦氏が就任しています。
 2021年1月には、東京都から<認定NPO法人>に認定され、寄付の税制優遇措置が適用されるようになりました。寄付金によりインデペンデンツクラブの活動=ベンチャー企業支援の充実が可能になりました。
 そして、引継後も事業計画発表会を推進してきた宮本氏は、2022年5月に、NPO法人インデペンデンツクラブ(常務理事)を退職しました。早稲田大学時代の事業開始から約25年の長きにわたり事業をリードしてきました。

★さらなる発展へ!-「一人でも多くの人と一緒に、1社でも多くの公開会社を育てる」―
 NPO法人インデペンデンツクラブは、全国の個性あふれる起業家を発掘し、「一人でも多くの人と一緒に1社でも多くの公開企業を育てる」を理念に、社会貢献するベンチャー企業の支援育成に関する事業を行い、経済活動の活性化及び科学技術の振興を図ることで広く公益に起用することを目的としております。
 2022年9月時点での実績は、事業計画発表会の累計開催数502回、累計発表企業数1310社、上場企業数28社、であります。この理念を掲げて、さらなる発展へ!

(2022年10月24日・原田誠司氏)

※「THE INDEPENDENTS」2022年12月号 掲載
※冊子掲載時点での情報です