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「ベンチャーブームの終焉」

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インデペンデンツクラブ代表理事
秦 信行 氏

早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)。野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。1994年國學院大学に移り、現在同大学名誉教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。2019年7月よりインデペンデンツクラブ代表理事に就任。



 今回のこのコラムのタイトル「ベンチャーブームの終焉」を見て少し驚かれた方がいらっしゃったかも知れない、ないしは誤解された方もおられたかも知れない。筆者である私は、コロナの影響によってベンチャーないしはスタートアップの輩出が頓挫していると申し上げているのでは決してない。ベンチャー、スタートアップの輩出は、このコロナ禍によるニュー・ノーマルを求める動きやAIなどの技術進化を受けて頓挫どころか、ますます加速化していると言っていい。では、何が終焉したのか、筆者が申し上げたいのは、「ベンチャーブーム」ないしは「ブーム」という見方が完全に終焉したのだということである。

 日本のベンチャーの輩出状況を語る時、一般的には第何次ベンチャーブームという言い方で説明されてきた。それで言うと、米国のボストン近郊で新技術をコアに立ち上げられた革新的な事業を展開する新しい中小企業が注目され、その視察を下に日本での実証研究によって1971年に書かれたのが清成忠男・中村秀一郎・平尾光司3氏による『ベンチャー・ビジネス-頭脳を売る小さな大企業』、それに連なる1970年代前半、日本電産やリード電機(現キーエンス)といったベンチャーが生まれたのが第1次ブーム、その10年後、小型モーター開発で話題となった勧業電気機器やソフトバンクなどが創業したのが1980年代前半の第2次ブーム、そして1990年代後半から2000年代中盤くらいまでが第3次、その後リーマン・ショックによる落ち込みを経て2010年以降のベンチャー、スタートアップの盛り上がりが通常第4次ベンチャーブームと呼ばれる。

 しかし、筆者は第1次、第2次のベンチャーブームはともかく、第3次以降のベンチャー輩出拡大を「ブーム」と呼ぶことには以前から違和感を抱いてきた。第3次以降、つまり1990年代後半以降の動きを一過性の「ブーム」と呼ぶことは出来ないのではないか。

 確かに、1970年代前半の第1次、1980年代前半の第2次においては、戦後進めてきた欧米諸国を目標にキャッチアップを目指した経済発展においてその主役であった大企業、特に1970年代以降は加工組立型の製造業の大企業の国際競争力は強く、多くの中小企業は基本的にはそれら大企業の下請としてその競争力を支える存在であった。確かに、清成氏らが指摘されたようなベンチャーが生まれて来てはいたものの数は少なかった。加えて、ベンチャー輩出のための制度的な整備も進んでいなかった。

 そうした状況は1990年代に入って大きく変わる。特に1990年代後半、世界のフロントランナーとなった日本は、自ら新たな経済社会、新産業を創り出す必要性に迫られた。その中核となる存在がイノベイティブな事業を開発し新しい考え方で経営されるベンチャーでありスタートアップであった。そのため、1990年代後半以降、そうした企業を生み出すための制度的な枠組み、エコシステムが急速に様々に整備され今に至っている。

 その効果もあり、ようやく1990年代後半以降日本経済は変わりつつあるように思う。この動きは決して一過性に終わる「ブーム」と呼ぶべき変化ではない。筆者は改めて明確に「ベンチャーブームの終焉」を認識すべきだと考えている。

※「THE INDEPENDENTS」2021年3月号 掲載
※冊子掲載時点での情報です