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「シリコンバレーが危ない?」

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インデペンデンツクラブ代表理事
秦 信行 氏

早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)。野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。1994年國學院大学に移り、現在同大学名誉教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。2019年7月よりインデペンデンツクラブ代表理事に就任。



先日(11月中旬)の夕刊だったと記憶するが、シリコンバレーに本社を構えるフェイスブックがニューヨーク(NY)のマンハッタンに東京ドーム3個分に相当する巨大オフィスビルを賃貸する契約を結んだという記事が出ていて筆者は実はかなり驚いた。

元々フェイスブックはシリコンバレーから出た会社でない。ご存知の方も多いと思うが、元々は創業者のザッカーバーグが東部のハーバード大学の2年生だったか3年生だったかの時に、新入生を品定めするための写真帳を仲間と一緒に作成したのが最初だった。その後、彼らはそれを事業化することとし、夏休みにシリコンバレーで経営陣の合宿を行い、そのままシリコンバレーに本拠を移した。今回のNYに巨大オフィスを設けることの最大の理由はシリコンバレーでの住宅不足とそれに伴う人材調達難にあるようだ。

シリコンバレーがハイテク・ベンチャーの集積地となり世界的に有名になったのは戦後のことだった。シリコンバレーは、まず半導体開発ベンチャーの集積で有名となり(シリコンバレーという名称は半導体の基板材料のシリコンから来ている)、その後1980年代以降、PC、モバイル、バイオ、インターネットといったハイテク分野での革新的なベンチャーを次々に生み出すことでハイテク集積地として成長してきた。

しかし、シリコンバレーも過去何度かハイテク集積地としての名声を失いかけた時期があった。筆者が知っている限りでは1980年代、これは半導体分野での日本との競争で苦戦した時期であり、その後では2000年頃、ネットビジネスへの投資急増に伴う地価・家賃急騰等の問題からシリコンバレーから人が逃げ出すのではと言われた時代、そして2008年のリーマンショックによる金融危機、そして最近の生活費の高騰と人材、特にエンジニアの調達難の時代だ。今回のフェイスブックのNYでの巨大オフィスビル新設はその先駆けともみられる。こうした動きが今後シリコンバレーの他社にも伝播していき、ハイテク集積地としてのシリコンバレーの名声は失われていくのであろうか。

かつて1990年代、UCバークレーにいた経済地理学者サクセニアンは『現代の二都物語』を書き、共にハイテク集積地であった米国東部のルート128沿いとシリコンバレーとを比較、ルート128沿いは独立起業型産業集積、対してシリコンバレーはネットワーク型産業集積であると指摘し、そのネットワーク型の意義を強調した。

シリコンバレーは筆者もこのコラムで既に紹介したように、情報の流れはスムースで風通しが良い。確かにシリコンバレーではエンジニアの採用が量的に難しくなっているのは事実だと思うが、NYで採用人材の質的な情報はどこまで掴めるのであろうか。シリコンバレーではそうした質的情報までがヒトの流動性が高いが故にある程度簡単に把握出来る環境がある。そうしたことを考えるとシリコンバレーの集積の意義は大きい。

これからシリコンバレーがどういう方向に動いていくのか、筆者にも明確には分からない。ただ、今までの集積の意義が急に失われるようには思わないだがどうであろうか。


※「THE INDEPENDENTS」2019年12月号 掲載
※冊子掲載時点での情報です