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「古都京都のベンチャー事情」

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國學院大学
教授 秦 信行 氏

野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。
1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。
1994年國學院大学に移り、現在同大学名誉教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。
日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。
早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)



 古都京都、明治維新まで1000年以上に亘って日本の都がおかれていた街、私事で恐縮だが筆者の母方の故郷でもあり生まれた街でもある。京都は長い歴史を持った古い街なのだが、実はベンチャー・コミュニティという新しい世界とも深い関係がある。

 1972年当時の京都経済同友会メンバーが中心となって日本での最初のVC、京都エンタープライズディベロップメント(KED)を作ったのが京都だった。しかし残念ながらKEDは10年足らずで大きな成果を上げることなく解散してしまった。その理由について10年位前に筆者は堀場製作所の創業者故堀場雅夫氏に直接お聞きしたことがある。堀場さんの答えは「船頭が多くてね」とだけで、それ以上は聞けなかった。

 それだけではない。京都は戦後、堀場製作所、オムロン(旧立石電機)、京セラ、村田製尺所、日本電産といったものづくり系の世界的な革新的企業が次々に生まれた街でもある。

 その京都で先日インデペンデンツクラブのイベントが開かれた。筆者も「京都発ベンチャーの活性化に向けて」と題するパネルディスカッションのモデレータとして参加し、京都の現在のベンチャーの動向について色々とお話をお聞きした。

 パネリストは、PwC京都監査法人パートナーの江口亮氏、京都銀行の堀貴男氏、(株)東京証券取引所の寺中久登氏、それに飛び入り参加の形でご発言を頂いた京都銀行のグループ会社でVCである京銀リース・キャピタルの三浦慎吾氏の面々だった。

 パネルではモデレータの筆者の興味もあって、何故京都は古都であるのに戦後日本初のVCだけでなく次々と革新的な企業が生まれたのか、その理由とその土壌は現在も引き継がれているのか、加えて、京都大学を中心とした産官学でのベンチャー輩出・育成の動向、そのための具体的な施策等についてお聞きし、議論した。

 時間の関係上十分な議論は出来なかったが、パネリストの皆さんから、京都は伝統的に自主独立の機運が強いこと、地元市場が小さいが故に早くからグローバル展開を志向する傾向が強いこと、最近確かに新規に上場する会社は少なくなっていることについては、業種的にものづくり系ベンチャーが主流でIT系が少ないことも理由と考えられること、ものづくり系ではバイオも含めて革新的な新しい企業は少なくないこと、とはいえ、他の地域と同様に会社経営に対する豊富な経験や知見を持った所謂経営人材が少ないこと、そのために京大VCの京都大学イノベーションキャピタル(KYOTO-iCAP)でECC(Entrepreneur Candidate Club)を組成し、経営人材を募集しテック系ベンチャーに送り込む仕組みを始めたこと、加えて、京都で活動する8つのVCが連携し、リードタイムの長いものづくり系ベンチャーを中心にした投資についての勉強会を始められたことなどについてのお話を伺った。

 残念ながら現状IPOについてはやや低調な京都ではあるが、個人を重んじ、自主独立の精神が今も生きている京都において、戦後生まれた革新的企業の創業者を後ろ盾にものづくり系ベンチャーが数多く生まれ育ってくれることを期待している。


※「THE INDEPENDENTS」2019年6月号 掲載
※冊子掲載時点での情報です