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「株式上場と事業創造」

公開


株式会社ガイアックス
代表執行役社長 上田 祐司さん

【略歴】1974年大阪府茨木市生まれ。1997年同志社大学経済学部卒業後、株式会社ベンチャー・リンク入社。1999年有限会社ガイアックス設立。同年株式会社に組織変更し、代表取締役社長(現・代表執行役社長)に就任。

設 立:1999年3月5日 所在地:東京都品川区西五反田1-21-8 KSS五反田ビル8階
事 業:コミュニティサービスの企画・開発・運営、及び
    コミュニティを中心とする各種ASPの提供・コンサルティング
従業員:193名(内正社員89名) 年商:3,830百万円(2012年12月期 実績)
上場日:2005年7月12日(名証セントレックス市場:3775)
http://www.gaiax.co.jp/

2002年の第106回事業計画発表会を通じて、アドバイザーの方からご支援いただきIPOが実現できました。IPOはゴールではなく過程ですが、今日はそういった経験をもとにお話できたらと思います。

【 起 業 経 緯 】

高校時代から仕事が楽しくてマクドナルドなどのアルバイトを散々して、大学生になってからは自分でハンバーガーの屋台を始めました。最初は一発儲けようという気持ちでしたが、自分が考え工夫したメニューを目の前のお客様が喜んでくれる姿を見て、商売の楽しさに目覚めました。それをきっかけに将来は独立して商売をしようと考えるようになりました。

就職活動の際、独立する人しか雇わない、という会社がありました。それがベンチャー・リンクという当時店頭公開していた会社です。社長が面白い人で、「君、何年でやめるの?」「僕は10年くらいでやめて独立します」という入社面接試験でした。サラリーマンとして普通に働く人と将来独立しようと考えている人は違います。後者はほっておいても自腹で本を買って勉強します。営業で知り合った社長に対しても、プライベートも含めてトコトン深く付き合っていきます。独立資金も必要ですから、頑張って稼ぎます。その結果、何割かの人が独立しても会社としては何の問題もありません。ベンチャー・リンクはそういうことを謳っていて、働いていてすごく納得感がありました。

会社を辞めたのは突然でした。同期で飛び抜けて優秀だった山根(現姓・小方麻貴)とある日一緒に食事をしている時に「一緒に起業できたらいいね」という話で盛り上がっていたら、次の日彼女から「辞表を出したよ。上田くんも出したよね?」というメールが来て、辞めて独立せざるを得なくなりました。まだ会社が楽しくてこれからたくさん学ぶことがあると思っていたのに(笑)。

【 ガ イ ア ッ ク ス 創 業 】

ビジネスモデルは何もありませんでしたが、インターネットをビジネスドメインにする事は決めていました。インターネットで人と人がつながり、脳と脳がつながることで企業や社会のさまざまな問題解決できるようになれば、世の中がハッピーになる。しかしインターネット業界人脈も資金もない中でどうするか。ビジネスは一気に行かないと勝てない。これはベンチャー・リンクで学んだ事です。中古車買い取りのガリバー社がまだまだ小さい規模の頃、社員300人のベンチャー・リンクから200人を同社のフランチャイズ販売支援のために動員し、一気に300店舗にさせました。この規模になれば広告宣伝やシステム投資も安くできます。

起業時もこの手法を踏襲しようと同時多発的に全部のオペレーションを一気に進めました。創業1年目で4億円調達しました。投資家は説明会でプレゼンする僕を見ているのではなく「あの投資会社も出すならうちも出そうか」と他の投資家を見ています。この心理をうまく使って説明会後の交渉は個別に進めました。採用活動では優秀な学生だけの少人数セミナーを行い各自に自己紹介をしてもらいました。全くの無名でしたが、「こんなすごい学生が集まるこの会社はすごいんじゃないか」と思わせることができ、優秀な新卒を採用できました。PR活動では同時多発的に全社員がマスコミに電話して、いろいろな雑誌に載る事で話題が広がり日経新聞にも4週連続掲載されました。資金調達、採用、広報、システム開発、これらを一気にやっていくことでみんなが乗ってきます。一気にやる事で勝ち組と思われるかが、ベンチャー企業の最初のハードルです。全部揃っているベンチャー企業はありません。コツコツやっていては勝てません。ビジョンを打ち出して周りを一気に巻き込むことが重要です。

事業を考える時は自分の都合ではなく、社会の都合で事業を考えることです。手元材料を度外視して、この社会においてどんなマーケットやニーズがあってどんなビジネスができるのかを考えて、それに対して一気に行く方がマーケット占有率は高くなります。そのためにたくさんの人に協力してもらう必要があります。

経営危機に陥った時期もありました。4億円のファイナンスをして勢い余って海外4カ国に拠点を持つ程になった時にネットバブルが崩壊しました。倒産してしまうと社員、投資家、提携企業と巻き込んだ人たちに対して多大な迷惑をかけてしまう。その時に一番心がけたのは「情報の共有」です。現金残高を社員にも投資家にも包み隠さず毎週報告していました。情報共有を普段から徹底していたことで経営状況を逐一把握してもらうことができ、投資家からは取引先の紹介いただき、社員も経営者と同じレベルで必死になって働いてくれ、何とか倒産の危機を乗り越えることができました。

【 2 0 0 5 年 、 株 式 上 場 】

ソーシャルメディアの波に乗って事業を拡大して、名古屋証券取引所セントレックス市場に上場できました。当社の株式が売買され資金調達ができるのであれば上場市場はどこでもいいと考えています。実際に当社株式の取引は活発です。上場時に7億円とライツオファリングで12億円と合計約20億円資金調達できました。株式交換による開発会社の買収も含め、グループ全体の売上は40億円と上場時の3倍になりました。

株式公開に関しては、社外のアドバイザーからは「毎年の黒字より、一旦赤字になってもいいからビジネスモデルを強化して上場しないとだめだ」と言われ、その通りだと思いました。株式公開というのは、事業経営とは別のスキルという気がします。当時30歳だった自分は経験者の助言なしに株式公開は進まないとすごく感じました。

【 ウ ェ ブ 時 代 に お け る 経 営 ノ ウ ハ ウ 】

最後に二つだけお伝えしたい点があります。一つは情報共有です。ビジネスは高い確率で失敗するので、成功のために社内での情報共有が大事です。判断を信じられるレベルまで社内共有するので、僕自身は稟議書を基本すべて通します。10人を超えた段階で情報共有ツールは必須ですが、創業直後から情報蓄積を行うことで情報(ナレッジ)がスムーズに引き継げます。

もう一つはホームページでの情報発信です。社内イントラで情報発信するだけでは不十分で、社外からもアクセスできるようにする事です。製品やサービスの細かい情報は、営業マンが資料作成して一から説明するのではなく、ホームページを更新してどんどん情報発信しています。1サイトあたり1,000ページ以上作成するくらいの勢いでやっていますし、グループで約20サイトのホームページを運用しています。おかげさまで月間資料請求は500?700件はあります。それを追いかけていくだけで仕事になります。

ソーシャルメディア専門会社として、リアルタイムに情報発信することで世の中全体とつながっていき、当社のビジョン「脳と脳をつなげる」を実現していきたいと思います。


【講演レポート】「社会情熱」 株式会社中広(名証セントレックス2139) 代表取締役 後藤 一俊

※全文は「THE INDEPENDENTS」2013年11月号 - p4-5にてご覧いただけます