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「社会情熱」

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株式会社中広
代表取締役 後藤 一俊さん

1948年岐阜県岐阜市生まれ。1981年株式会社中広へ入社し、同年6月常務取締役就任。1987年代表取締役社長就任。2005年一般社団法人日本地域広告会社協会(JLAA)理事長(現任)。2007年2月19日名証セントレックス上場(2139)。2012年12月名証2部へ市場変更。

設立:1978年5月1日 所在地:岐阜県岐阜市東興町27
年商:5,104百万円(13/4期) 従業員数:342名
http://www.chuco.co.jp/

月刊フリーマガジン『地域みっちゃく生活情報誌?』の発行部数が今年7月に300万部を突破しました。1994年、岐阜県可児市で第1号を創刊以来、地域活性化の波を全国へ拡げてきました。現在は12県の49市町村、そのうち7県8誌はVC(ボランタリー・チェーン)で、当社は岐阜・三重・愛知・福井・滋賀で発行しています。岐阜県では11誌合計で世帯カバー率は93%となっていますが、それぞれの地域で暮らす方々に、それぞれの地域の情報、表紙から内容まで違うフリーマガジンを、直接お届けしているのが最大の特徴です。日本で一番面積の大きな岐阜県飛騨高山市でも56,000部を一軒一軒手配りしています。『地域みっちゃく生活情報誌?』を毎月楽しみに待っている人たちがいる。それが我社340名の社員の喜びであります。

我社は2007年に、広告業界3,700社の中では電通・博報堂・アサツーに次ぎ4番目に上場いたしました。なぜ地方の小さな広告代理店がIPOを目指したのか。一つは社会的に認知されたいと思ったからです。広告屋と御用聞きは勝手口から来いと言われ、その悲哀を30年間ずっと感じてきました。

二つめは、ちょっと照れくさいですが「地域愛」。昭和40年に2,000軒もあったあの柳ヶ瀬の歓楽街は、今やシャッター通り。再び町を輝かせたい、地域を活性化させたいと始めた地域密着のこのメディアをもっと広げたいという思いです。そしてもう一つ。私は今年65歳になる団塊世代です。周りではリタイアする人が増えていますが、まだまだやれるはず。それで敢えてこの年齢でIPOに挑戦しました。これが私の『社会情熱』です。

名証合格までに7年かかりましたが、予め質問が分かっていたらもっと早くIPOできたかもしれません。これからIPOを目指す方に、私の経験を参考までにお伝えします。
(1)労働時間/広告企画のようなクリエイティブな仕事の時間管理は難しい。そこを8時間で打ち切らせる勇気が経営者には必要。それによって経営レベルが上がっていく。
(2)ガバナンス/内部監査室、監査役会、社外取締役などを、決して形式的に捉えてはいけない。
(3)関係者との信頼関係/厳しく指導されるからこそ、幹事証券や監査法人には心が通じ合う担当者が必要。
(4)ファイナンスの目的/当社のように明確な資金使途がない場合でも、ファイナンスの意味をよく考える。
(5)公私の区別を徹底/株主主義を十分に理解する。オーナーが資本の過半数を持とうが、それは関係ない。

今年4月からの第2期中期経営計画では、3年後に全国1,000万部150誌発行、売上高は昨年度51億円の倍の100億円を目標にしています。情報誌を創刊して20年ですが、昨年1年間だけで120万部増え300万部を超えました。2年前からはモバイルによる地域みっちゃく生活情報総合ポータルサイト『フリモ』をスタートしました。これを社員一丸となって取り組んでいます。来期新卒者の初任給は23万円ですが、広告業界最高の初任給は24万4千円。「人が宝」で「人が命」です。「初任給日本一」も達成します。

日曜日もふくめ毎朝、ブログを書き始めてもう2,100回になります。社員に対して『天声人語』を毎日書き写すよう勧めているので、自分へのノルマとして毎日原稿(ブログ)を書いています(笑)。事業とは、誰がなんと言おうと継続することが肝心です。小さなエリアでのビジネスを積み上げながら、全国各地域の裏寂れたシャッター通りを、再び元気にしたいと願っています。

【講演レポート】日本のイノベーションと地方の自立(NBC会長 池田弘)

※全文は「THE INDEPENDENTS」2013年9月号 - p12にてご覧いただけます