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「シリコンバレーが壊れる時」

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國學院大学
教授 秦 信行 氏

野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。
1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。
1994年國學院大学に移り、現在同大学教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。
日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。
早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)

ベンチャーコミュニティを巡って


 第二次世界大戦後、サンフラン半島の付け根に位置するシリコンバレーが半導体開発会社の集積から始まって、その後幾つかのハイテク技術を事業化するベンチャー企業のハビタット(生息地)として今も活況を呈していることはご存知の通りである。

 そのシリコンバレーにおける年間のVC投資額と投資社数を1990年以降5年おきに見てみると、1990年902百万ドル(394社)、1995年 1,808百万ドル(509社)、2000年33,405百万ドル(2,161社)、2005年8,131百万ドル(1,009社)、2010年9,406百万ドル(1,113社)、2014年24,224百万ドル(1,406社)となる(NVCA “Yearbook 2015”参照)。

 インターネットバブルの崩壊による2000年から数年間の停滞期を除けば、シリコンバレーでは2000年以降もVC投資は順調に拡大していることが分かる。

特に直近の2014年を2005年と比較すると、9年間に金額ベースで3倍、年率13%の増加となっている。リーマンショック後の2010年と比較すると金額ベースで年率20%以上の伸びを示していることになる。

 その結果、全米全体でのVC投資に占めるシリコンバレーのシェアは、2000年の32%から大きく高まり、2005年35%、2010年40%、2014年では49%と全米のほぼ半分を占めるまでになっている。つまり、米国のVC投資において2000年以降シリコンバレーが突出してきているのだ。このことが何を意味するのか。

 Joint Venture Silicon Valley Networkの資料によると、シリコンバレーの面積は東京都の約2倍、約300万人の人口しかいない。この小さな地域で日本の約30倍のVC投資が行われているのである。幾ら起業家が多い、ベンチャーが多いとはいえ大きすぎないか。

 先般このコラムで「ユニコーン」という時価総額10億ドルを超える未上場企業が米国で増えている話をしたが、その大半はシリコンバレーのベンチャーなのだ。「ユニコーン」をどう考えるか、別れるところではあるが、バブルだという見方は否定できない。

 2000年当時、筆者もシリコンバレーの住民の一人であったが、ネットバブルの発生によってシリコンバレー社会に様々な問題が起こった。卑近なところでは、シリコンバレーとサンフランシスコを西と東で結ぶ国道280号線と101号線の混雑が急に激しくなった、アパートの家賃が高騰した、ちょっとしたレストランの予約が取りにくくなった、等々。

 最近のシリコンバレーの状況を聞くと同じような現象が、2000年当時をより増幅した形で起こっていると聞く。この状況が続けばどうなるか。実は2000年当時も一部の人たちによって囁かれていたことであるが、シリコンバレーに人が住めなくなる、少なくとも入ってこられなくなるのではないか。それはシリコンバレーのある意味での死を意味する。

 そこまで心配する必要はないのかもしれない。しかし、シリコンバレーの世界全体のイノベーションにおける役割を考えると不安になる。といって筆者に現状を改善する手立てに妙案があるわけではないが、当面成り行きを注視しておく必要はあろう。

※「THE INDEPENDENTS」2016年1月号 - p19より