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「もう一つのシリコンバレー」

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國學院大学
教授 秦 信行 氏

野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。
1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。
1994年國學院大学に移り、現在同大学教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。
日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。
早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)

ベンチャーコミュニティを巡って


去る10月8日から10日にかけて、日本経済新聞の朝刊に最近のシリコンバレーの話題を紹介する「シリコンバレー沸く」と題する3日連続の記事が「上」「中」「下」として掲載された。この連載記事の中で9日の記事「中」では、シリコンバレーの移民の問題を取り上げている。記事にもあるように、シリコンバレーには30分に1人のペースで海外から移民が流入しており、シリコンバレーの住人の3人に一人は外国生まれの人となっている。中でもアジア系の住民は既に6割近くになっている。この状況はかなり前から続いており、シリコンバレーは米国にありながら、一般的な米国とは大分違った場所になっている。

こうした外に開かれたオープンな地域であることがシリコンバレーの大きな特色だと言えようが、シリコンバレーの内部を仔細に見ると、実はそこには「もう一つのシリコンバレー」が顔を覗かせている。それは「オープン」とは全く逆の、閉ざされた、「クローズド」なシリコンバレーと言って良い顔なのだ。

その事は、先の新聞記事では、サンフランシスコの金融街にある会員制クラブ「ザ・バッテリー」を例に取って書かれている。この会員制クラブの中心的な会員は、シリコンバレーの中枢の人脈に繋がる投資家や起業家であり、このクラブは極めて排他的に、秘密裏に運営されているのだという。

実は筆者もかつて、こうしたシリコンバレーの奥に潜む別の顔を垣間見たことがある。それは筆者がある大手の日本のVCで米国での投資活動に携わっていた頃のことである。

そのVCの投資活動は東京にいる日本人によって主として担われ、筆者も含めて投資部隊の人間は日本から出掛ける形で行われていた。投資案件は独自に探すものがなくはなかったが、多くは現地の有力VCからの紹介によって手に入れていた。そうした状態の中で気が付いたことがあった。それは、シリコンバレーで実績を残している有力なVC、例えばクライナー・パーキンスとかセコイヤといったVCでは、その中だけで投資が行われる投資案件があることであった。そうした投資案件が彼らによって筆者のいた日本のVCに紹介されることはまずなかった。それらの投資案件はシリコンバレーの有力VC達だけで投資が行われ、結果として大きな成果をもたらすものが多かった。

勿論、シリコンバレーの有力VCから紹介され、彼らと共に投資をした案件がなかったわけではない。しかし、それらの投資案件はどちらかというと小粒で彼らが本格的に取組むような案件ではなかった。

後にこうした状況についてVC関係者に確認した所、確かに事実であるということだった。

筆者が属していたVCは、その後米国内で評価されているキャピタリストを投資部隊のトップに迎え、現地の人間が現地で投資する体制に大きく変えた。少しでも「もう一つのシリコンバレー」に直接アクセスできる体制を目指したわけである。その成果といっていいのであろう、その後のそのVCの米国でのベンチャー投資はかなりの成績を上げている。

※「THE INDEPENDENTS」2015年11月号 - p19より