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「日本のVCの戦後史」

公開


國學院大学
教授 秦 信行 氏

野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。
1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。
1994年國學院大学に移り、現在同大学教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。
日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。
早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)

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ベンチャーコミュニティを巡って

 
 筆者がこのコラムを書いている今日は2015年8月15日土曜日、すなわち70年目の終戦記念日に当たる。
 昨日14日には世間で注目を浴びた安部首相の戦後70年談話が発表された。それに触れる積りは全くないが、戦後70年談話に多少倣って今回は日本のVCの戦後史について書いておこう。ただ、戦後史というのは少し大袈裟で、既にこのコラムでも紹介したように、日本で最初のVCと言われる京都エンタープライズディベロップメント(KED)の設立年次1972年を起点とすると日本のVCの歴史はほんの40数年に過ぎない。

 それ以前では、1963年に米国のSBIC(Small Business Investment Company)に倣った中小企業投資育成会社はあったが、それは中小企業の自己資本充実を政策目的とした投資会社であり、VCとは言い難いものであった。その前には、日産グループの創始鮎川義介氏によって1952年に作られ、長男鮎川彌一氏が再編、1974年にテクノベンチャーに引き継がれた中小企業助成会なる組織があったようだが、その実態は明らかではない。

 KED設立後の日本VCの歴史の中で最初の大きなエポックは、1982年のVCファンドの組成であろう。日本のVCは1972年にKEDが設立された後74年までの3年間に8社相次いで設立されたが、いずれもファンド組成を検討することはなかったようだ。

 米国視察を基に作られた日本のVCではあったが、ジャフコの社史など読む限り当時米国VCが投資資金をファンドの形で調達していた事実を明確には理解していなかったように思う。というか、米国でもLPS(Limited Partnership)形態でのVCファンドの組成が始まったのが1960年代後半だと言われており、米国でもまだ一般的ではなかったのかも知れない。 
 
 いずれにしてもVCファンドの組成は、投資資金の調達という面だけでなく、管理運用手数料という形で継続的な収入が得られるようになったという意味においても日本のVCにとって大変大きな意義を持った。

 2つ目の大きなエポックは、1999年の東証マザーズを始めとした一連の新興株式市場の新設であろう。この新市場創設とそれに伴う上場基準の大幅な緩和によって、会社設立からIPOまでの期間がそれまでの平均20~30年から10年位大きく短縮された。それは通常10年(延長2年)という期限付きのファンド資金で投資を行い10年間で回収しなければならないVCにとって、ベンチャー設立後すぐの時期での投資を可能にする事を意味した。逆に言えば、それ以前の日本のVC投資は、資金回収を考えると設立後10年以上経過した企業、すなわち中堅企業にしか原則投資は出来なかったわけである。

 このように日本でシード、スタートアップ、アーリー・ステージへのVC投資が本格的に行われるようになった時点からみると約15年、つまり、ベンチャーの立ち上げから数年の段階でのVC投資に限ってみると、日本のVC業界はまだまだ未成熟な、経験知の浅い業界なのである。その点の認識をきちんと行っておく必要があるように思う。



※「THE INDEPENDENTS」2015年9月号 - p20より