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「中堅企業とベンチャー」

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國學院大学
教授 秦 信行 氏

野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。
1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。
1994年國學院大学に移り、現在同大学教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。
日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。
早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)

 「中堅企業」というと多くの人は、中小企業の枠は超えているが大企業といえるほど規模が大きくない企業の事を思い浮かべるであろう。つまり、中小企業と大企業の中間的存在の企業ということである。

 先日12月9日日経新聞朝刊の「一目均衡」というコラムに、「ミドルサイズ企業の時代」と題した記事が載った。このコラムでも「中堅企業」は単に前述した中小企業と大企業の間の規模の企業だとしか紹介されておらず、その定義はあいまいだとされている。

 しかし、実は「中堅企業」という企業群は、戦後の中小企業の発展を語る際にかなり重要な意味を持つ企業群なのだ。

 戦後の日本において「中堅企業」という企業群を実証調査のなかで見つけ、その意義に深く言及されたのが専修大学におられた故中村秀一郎氏である。そのことは、彼の1964年に書かれた著書『中堅企業論』に詳しい。

 その当時、中小企業は主として「規模の経済」を大企業ほどに生かすことが出来ないが故に、近代的な大企業に比較して常に生産性が低く、大企業に比較して構造的に経営上劣位に置かれた非近代的な存在だと理解されていた。大企業との溝は大きく深く、その溝を内発的に越えることは永遠に出来ないという見方が一般的であった。従って、中小企業は政策的に保護しなければならない存在なのだと。

 こうした考え方、つまり「二重構造論」と呼ばれた考え方が主流であった当時、中村氏は実証研究を通じて、「二重構造論」の考え方に反旗を翻し、中小企業の中からその枠を超えて成長する企業が数多く生まれていることを発見し、それらの企業を「中堅企業」と名付けられた。同時に、そうした企業が日本で数多く生まれてきた背景を明らかにされた。ただ、残念なことに、中村氏の「中堅企業」論は、「当時の二重構造論を典型とする通念の壁にはばまれて、容易に受け入れられなかった」。

 「中堅企業」輩出の背景は、高度経済成長によって人々の所得が増加し、それによって人々のニーズが個性化、高度化し、市場も多様化、細分化したことにあると考えられる。そうした細分化されたニッチな市場を活躍の場としているのが「中堅企業」なのである。

 ニッチ市場とはいえ、経済成長によって市場はそこそこに拡大、その市場で大きなシェアを獲得することで高収益を実現し、ベンチャーのように急成長はしないものも、その規模は確かに中小企業の枠を出るものとなった。こうした「中堅企業」輩出の背景は、その後10年位遅れて日本に生まれてきたベンチャーにも共通する面が多々あるといってよい。

 先の日経新聞「一目均衡」に記されているように、ベンチャーの輩出が少ない日本では、地方を中心に、地方鉄道、小売り、飲食、建設といった分野で、事業基盤がしっかりした「中堅企業」の存在が依然として目立つ。今後の日本経済、とりわけ地方創生のためには、こうした「中堅企業」の底上げもテーマの一つだと言ってよかろう。

※「THE INDEPENDENTS」2015年1月号 - p16より