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「「鶴岡から次世代の日本を創る」」

公開


慶応義塾大学先端生命科学研究所 所長
慶応義塾大学環境情報学部 教授
冨田 勝 氏

1957年東京都生まれ。慶應大学工学部卒業後渡米。カーネギーメロン大学修士課程および博士課程修了、Ph.D(情報科学, 1985)。その後京都大学より工学博士(電気工学, 1994)、慶應大学より医学博士(分子生物学,1998)を取得。カーネギーメロン大学助手、助教授、准教授を経て、慶應義塾大学環境情報学部助教授、のちに教授。2005年~2007年環境情報学部学部長。2001年より現在まで慶應義塾大学先端生命科学研究所所長。

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私自身は東京に生まれ、東京で育ち、アメリカに10年住んでいました。15年前、鶴岡に新設される先端生命科学研究所の所長に任命されたときは、慶應が地方にキャンパスを作って本当に成功するのだろうかと少し不安だった。しかし今は確信している。独創的な研究をやるには鶴岡は理想の場所である、と。大都会では優等生的研究になってしまう。革新的な研究や創造的な仕事は、自然豊かなところで腰を落ち着けて取り組むべきだ。

日本に必要なのは知的産業の創造だ。高度成長期は、既に欧米で発明された車やテレビを優等生的に改良して安く売って儲けてきた。しかし中国・韓国・インド・台湾など新興国の台頭で日本はもうコスト競争では勝てなくなってしまった。なので、高くても買ってもらえる、もの凄く良いモノやサービスを作って売るしか生き残る道はない。そのためには誰もやったことのないことに挑戦する勇気ある人材が必要だが、日本の教育は、皆と同じことをして皆より良くできる「優等生」を育てるシステムである。そこに日本停滞の根本原因があるのではないか。

優等生は地方を「格下」に見る傾向があり、東京から離れたがらない。鶴岡の研究所開設当時も「冨田君がいくら頑張っても、研究所が山形県にあるうちは絶対うまくいかないよ」とよく言われたものだった。その「東京=中央=優等生」というメンタリティを壊さないと日本の再生はない。

先端研も鶴岡という場所がネックで研究者のリクルートには当初苦労した。曽我朋義氏にも最初は「遠すぎる」と断られた。でも、一緒に世界が振り向く研究をしよう。もし細胞や血液内の代謝物を全部一気にデータ分析できる技術ができたら全く新しい発見が生まれてくる。メタボローム解析で世界一を目指そう。そう言って口説いた。

私と曽我氏が2003年に共同創業したヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ(HMT)社は慶應義塾大学が初めて直接出資したベンチャー企業である。唾液から癌やうつ病診断ができるメタボローム解析技術の会社として業績を伸ばし、創業10年目の2013年12月に上場した。山形県で8番目、鶴岡市では唯一の上場会社になった。知的産業の振興という、当初の目標の第一歩は達成できたと思う。慶應先端研とそのベンチャー企業が生み出した雇用数は約200人。鶴岡市の労働人口は7万人なので、失業率に0.3%も影響を与えるのである。2014年6月には国際メタボローム学会が鶴岡市で開催された。今では鶴岡市は世界中の科学者から注目を集めている。

本当のブレークスルーはホラから生まれる。「地球は丸い」とか「光は曲がる」と言っても最初は誰も信じなかった。

スパイバー社は人工クモ糸の開発をしている。クモの糸は束ねると鉄鋼より強くかつ伸縮性があり、軽くて耐熱性に富み、石油非依存で生分解性。夢の繊維と言われている。微生物にクモ糸の遺伝子を導入してクモ糸タンパク質を作らせる。2004年、私の研究室にいた大学4年生の関山和宏君と2年生の菅原潤一君がクモ糸研究を始めた。「ライバルはアメリカ軍とNASA」そう言った時はみんな大爆笑。世界の最高研究機関がトライしても成功していないのにどうやって君たち大学生にできるのか、と。みんなにホラ吹きと言われながらも屈することなく研究を続け、2007年に1000万円で「スパイバー社」を起業した。それが去年の夏には量産技術を確立して、国やVCから15億円を調達している。今年は内閣府のImPACTのプロジェクトに選ばれ更に50億円を調達した。昨年試作研究棟が完成してフル稼働、現在2つ目の工場を建設中だ。2017年には21ヘクタールのサイエンスパークが鶴岡に完成する予定。その全体設計は、世界的な建築家の坂茂氏に担当していただくことになっている。

東京のように周りを優等生ばかりに囲まれていたら、スパイバー社は生まれなかったと思う。起業で重要なのはスピリットだ。人と違うことをやる事。もちろん失敗もたくさんある。そして一度決めた夢に固執する必要もない。夢は諦めるのではなく変えればいいのである。起業するのにMBAは必要ない。全部自分で理解する必要もない。それよりいいパートナーを見つける事だ。関山君には同級生に水谷英也(現スパイバー取締役)という公認会計士がいた。

鶴岡は酒がうまい。酒席でブレインストーミングすることが重要だ。会議室や教室からは優等生的な発言しか出てこない。

高校生は大学1~2年生には、もっと自由研究をやらせてあげるべきだ。教科書の内容をいくら教えても日本を支える人材は出てこない。試験勉強で疲弊するばかり。福沢諭吉は、学校は天性の発達を伸ばすための道具だと言った。ノーベル賞受賞者に優等生はほとんどいないと言われている。5教科7科目まんべんなく全部できる人はむしろ科学者に向かないであろう。好きな事に情熱を持ってとことん打ち込める人は貴重な人材である。そんな人材のためにAO(アドミッション・オフィス)入試を1990年に慶應義塾大学が初めて導入した。AO入試は面接と書類で選考する。一発の試験だけで評価する今の一般入試は、まともな人の選び方ではないと思う。

先端生命科学研究所では、鶴岡の地元高校生を助手や研究生として採用している。たとえばある女子生徒は最先端施設を使って脂肪肝の治療法の研究をしていた。そういう生徒はAO入試で大学へ進学している。放課後毎日研究している高校生なんて他にいない。10年後20年後には彼らは日本のサイエンスを仕切る人材になるであろう。

富塚陽一前鶴岡市長は本当に腹が据わった人だった。大学を軌道に乗せるには最低20年は必要。次の世代、25年後に何を残すかを考えていた。

地方都市の活性化を考えるとき、その地方を活性化させることだけを目標にしてはダメだ。日本全体の活性化に貢献するために、その地方で何ができるかを考える。日本に貢献している地方都市は、その地方も必ず活性化するからである。

ケンブリッジもシリコンバレーも何の変哲もない地域だった。人々はどこに魅力を感じて集まるのか。面白い人が沢山いるところに面白い人が集まってくるのである。地域発展のカギは面白い人をどれだけ増やすかだ。また、家賃が高く満員電車に揺られて通勤する必要がある東京に比べて、自然豊かな地方都市は圧倒的優位である。鶴岡は通勤時間数分の人がほとんど。「仕事は最先端でエキサイティング。プライベートは自然豊かなにスローライフ」そんなふたつを両立させたいという欲張りな若者も、鶴岡でなら実現可能です。

日本が今必要としているキーワードは「地方活性化」「科学技術立国」「新産業の創出」「人材育成」「健康長寿」であるが、これらすべての成功例をこの地方都市に作ることが私たちの使命。

「花より根を養う」という庄内人の言葉がある。まさにこれが今の日本に本当に必要な考え方だと思う。

2014年11月17日特別セミナー「地方創生と大学発バイオベンチャー成功の条件」 基調講演より

【パネルディスカッション】「『鶴岡の奇蹟』を超えるために」2014年11月17日特別セミナー