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「「VCファンド1サイクル(10年)を経験することの意味」」

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國學院大学
教授 秦 信行 氏

野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。
1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。
1994年國學院大学に移り、現在同大学教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。
日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。
早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)

 前回のこのコラムで、現在日本でもようやく従来の金融機関系で「組織型」ではない独立系の「個人型」VCが生まれ始めたことを書いた。そして、そうした「個人型」のVCのベンチャーキャピタリストが、ファンド組成から案件の発掘、そして案件の精査=デューディリジェンス、バリュエーションといった一連のVC投資プロセス全部を、キャピタリスト個人が実行する結果、VC投資に必要な専門的スキルや遂行能力をキャピタリスト個人が身に付けることになることの意義を述べた。

 それは、そうしたベンチャー投資と育成に関して専門的な知識を有する人材がベンチャーの企業家に寄り添うことで、ベンチャーの革新的な事業の成功確率を高めることに繋がるし、ベンチャー企業家の経営能力を高め、シリアルアントレプレナーを育てることにも繋がる、といった意味でも重要だと思われる。

 独立系「個人型」VC、キャピタリストの意義はそればかりではない。

 通常米国のアーリー・ステージにフォーカスしたVCファンドの運用成績をみると、10社に投資した場合、2社が倒産ないしは清算、3~4社がトントン、2~3社が投資額の2倍以下の投資収益、残りの2社が、上手くいけば投資額の数倍から数十倍の投資収益を上げ、その2社がファンド全体の投資収益率を決定するというのが一般的な姿だといってよい。

 日本の場合も基本的な構造は同様だといえる。

 VC投資が語られる際、日本では投資実行までのプロセス、つまり案件発掘やデューディリなどが語られることが多い。しかし、上記のファンドの平均的な姿を見ると、実はキャピタリストにとってより重要な仕事は、投資後に計画通りに事業が進まなくなった投資先企業をできるだけ投資損失を発生させること無く軌道修正させるか、ないしは最終的に処分するか、といった問題の解決なのである。こうした問題は、ファンドの期限10年、キャピタリストがファンドにフルに付き合ってみて初めて見えてくる問題、景色なのだ。

 「組織型」VCでは、こうした問題の多くは組織的に解決され、そのノウハウは通常キャピタリスト個人には蓄積されない。組織に蓄積されたものは組織が無くなれば霧消する。

 同時に、独立系「個人型」のVCにおいては、キャピタリスト個人への直接的な成功報酬の分配によって、ファンド運用で大きなリターンを生めばキャピタリスト個人の所得も拡大、その結果キャピタリスト個人がファンドの運用者=GPとしてファンドに自ら出資するコア・キャピタル(通常ファンド総額の1%)の額が大きくなることを通じてより大きなファンドを運用できることになる(勿論他の出資者=LPの出資が必要だが)。

 前回のこのコラムで取り上げた最近登場してきた若手の独立系キャピタリスト達は、VCファンド運営を始めたばかりの人も多く、投資後の経験を十分積んではいないと思われる。しかし、彼らがファンドの1サイクル経験した暁には、本物のキャピタリストとして活躍してくれることと思う。

「THE INDEPENDENTS」2014年11月号 - p13より