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「東京インデペンデンツクラブ 会員プレゼン交流会」

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アスカネットは主に2つのビジネスを行っている。売上45億円、経常利益6億円。規模の拡大よりも利益率やキャッシュフローを重視する安定経営を求めながら、併行して新規事業にトライしてきた。

1つはメモリアルデザインサービスという変わったビジネス。遺影写真を加工する仕事で、広島中の葬儀社から電話一本で受注制作するビジネスで大成功した。1992年よりネットを通じて遺影写真を配信するサービスを開始、日本中の葬儀社から仕事を請けるようになった。まだインターネットのBtoBモデルがなかった時代。一般にビジネスモデルは10年しか持たないと言われるが、このビジネスは17年経った今でも伸び続けている。

もう1つはパーソナルパブリッシングサービス。インターネット上で編集した写真集が、一週間後に手元に届くというサービス。最近フォトブックという名称が一般的だが、当社が10年間に世界で最初に始めたサービスだ。年間40万冊、今なお伸びているが、競合も海外20社国内20社が参入して今は生き残り合戦中。当社のユーザーは結婚式場、住宅メーカー、学校アルバム、個人用ペットなど、BtoBからBtoCまで幅広くある。

本日の前半は私の自慢話(笑)、後半は事業をされている若い方に役に立つ話をしたい。

もともと根っからのベンチャー人間だと自負していて、会社に勤めたことが一度もない。
最初のベンチャーは中学生のとき。当時のテレビはNHKしか映らなく、それ以外のチャンネルは高価なチューナーを買う必要があった。ラジオ少年だった私はテレビを分解し、民放が見られるチューナーを安価に開発した。これは儲かる!と自分で近所に営業、すぐに評判になった。親には心配されたが(笑)。この経験から学んだのは、誰も知らないことをビジネスにすれば儲かるという事。ソニーの盛田氏は大学生のときラジオで儲けたが、私は中学生。優越感を持った(笑)自信にもなった。

大学は経営学部だったが、これからはアパレルが伸びると思い、新宿の文化服装学院に入学した。学内コンテストで2位を取って、いきなりファッションメーカーの社長になった。ここでもベンチャーらしく、これまでにない斬新なファッションを追求した。それが飛ぶように売れ、一気に会社が大きくなった。しかし大きな勘違いをしていた。私に実力があったわけではなく、そういう時代背景だった。マンションの一室を借りてアパレル業を営む会社が乱立し始め、あっという間に売れなくなった。30店舗も展開していたので資金繰りが一気に悪化、弁護士の勧めもあり20代で債権者会議を経験した。そのときにビジネスの怖さを強烈に学んだ。倒産の原因は在庫。それで写真屋を始めた。在庫を持つ必要がないから。

葬儀の遺影写真がなぜ成功したか。遺影写真加工の仕事は葬儀屋も写真屋も面倒だと思っていた。そこで私が葬儀のお宅にお邪魔して、その写真を持ち帰って合成して、再度そのお宅に行って祭壇に飾る所まで請け負うと大変喜ばれた。次に考えたのはリモートコントロール。散々探してイスラエルのソフトウェアを電話回線に繋ぐことで、ようやく遠隔操作システムができた。葬儀社は写真をスキャナーの上に載せるだけで、30分後には綺麗に加工された遺影写真が自動的に出てくるという単純なモデルになった。お客様は新しい事は大好きだが、面倒なことは大嫌いだという諺がある。それを単純化できたことが勝因。

結婚式場のカメラマンだった頃、新郎新婦の友人が「写真撮影をしても私達はもらえない」と会話しているのを聞いた。不満やニーズを聞くのはビジネスを見つける1つのポイント。ならば参加者全員の集合写真を撮影し販売すればものすごく儲かるはずと発想した。実際目の前で欲しいという人がいるのに仕組みがないだけだと。ただ、仕組みづくりはものすごく大変。アイディアは成功までの10%程度でしかない。残り90%はそれをどうやって実現し収益化するかという事。これが難しい。

このアイディアがどうビジネスになったか。式場側に集合写真を撮らせて欲しいと申し込んでみたが、怒られてしまった。なぜか。ひとつは式後に新郎新婦が出口で挨拶をするから駄目だという理由。もう一つは酔ったお客様がケガをしたら誰が責任を取るのだと。新しいことを提案するときに、これほどやらない側の意見がもっともらしい例はあまりないなと感心した(笑)。

一旦は諦めたが、ずっと機会を狙っていた。すると偶然全く違う方向から話があった。当時は結婚式が非常に多く、一つの会場が3回転する時代。ところが酔ったお客様がなかなか外に出てくれなくて困っていた。それを見つけ、結婚式場の社長に直談判。みんなをすぐ表に出す方法を知っていますよと(笑)それで採用してもらった。写真を撮ることを目的にするのではなく、相手の都合の良い方向に提案してあげるという事。おかげさまでえらく儲かりました(笑)。

私の場合、それで終わらせるつもりはなかった。もっと売れるはずだといつも考えるタイプ。市場占有率が何%ですごいですね、なんて言われても嬉しくない。なぜ全員が買ってくれないのだと。集合写真のケースでは大体3割くらいだった。買わない理由はいくつかあった。ひとつは写真を申込む場所が分かりづらかった。そこで撮影する人とひな壇の間に申込場所を変えた。すると撮影中はそちらに釘付け(笑)それだけで売上が倍増した。さらには音楽。曲を変えたらどれくらい売上が変わるのだろうかと、ホイットニーヒューストンを流したらこれも効果的だった。本日の講演は成長戦略がテーマだが、「全員が買ってもらうためにはどうしたらよいのか」を考えることが一番だと思っている。そのためにあらゆることを多方面から考える。お客様の生活スタイルやその先のストーリーまで考える。全員を目指して考え抜く事で他社との差別化が出てくる。

成長戦略のもうひとつの要因は人。社長一人がいくら頑張っても駄目。社員全員が同じ方向を見て成果を出すには、どうしたらよいのか。一つは、「仕事と作業はちがう」ことを伝えること。言われた事を言われた通りする人は作業員。そこには何のアイディアも創意工夫もない。私は社員全員がクリエイターになってもらいたいと思っている。昨日と今日でやることが違うのは当然。当社ではグループウエアで各社員の失敗履歴を書き込み、共有している。これによって同じ失敗を他の社員がしなくてもよくなる。そういう蓄積があることがビジネスとしても、新しいことへチャレンジする習慣づけとしても重要。

もうひとつ、社長の重要な仕事は広報。ビジョンをはっきりと口にする事。こういう世界、こういうモノ、こういうサービスを作りたいと社員に明確に話す事ができるか?何でもいいからお金儲けてこい!では今の若い人たちは絶対についてこない。向かうべき方向を、自分達が考えられるようにしていく。投資家説明会で得た意見も参考になる。社長が常時ビジョンを社内外にも話すことで会社は動いていく。

一昔前の上司と部下の関係は「俺の言うことをやれ」というパターン。私の場合は逆。正解が分かっていても、ああでもないこうでもないと言う。そうやってヒントを与えていくと「これどうですか?」と聞いてくる。そこまできてはじめて「やってくれ!」と任せる。自発的に気づけた社員は生き生きと仕事にコミットしてくれる。会社の成長はこういうことに支えられている。部下に花を持たせることができる人こそが真のリーダー。


質疑応答
Q:フォトブック市場が乱立状態の中でどのような戦略で勝ち残っていくのか
A:当社はクオリティで勝負している。オンデマンド印刷でここまでの色が出せるところはない。ただ、フォトブックはクオリティだけではないので難しいところではある。結婚式場などクオリティが求められる領域への参入者が出てきたら考える必要はあるが今のところはない。ターゲットの違いだ。

Q:プレス発表した新事業「空中ディスプレイ」について
A:私は、安定部門、成長部門、未来部門の3つを意識しながら事業を行っている。遺影写真は毎年キャッシュを生む安定部門で、フォトブックは成長部門。未来部門は、奇想天外なドラえもんの世界。今は空中ディスプレイを研究している。フィルムや水蒸気など全く使わない従来とは違う技術で、ステージに立体アニメーションを映し出してコンサートをしたい。