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「新しい維新へ、新しい日本の実現へ」

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インデペンデンツクラブ代表理事
秦 信行 氏

早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)。野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。1994年國學院大学に移り、現在同大学名誉教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。2019年7月よりインデペンデンツクラブ代表理事に就任。



このコラムを執筆中の今日は令和4年、2022年の正月、Z世代の若者には記憶にない人も多いのだろうが、2000年の「ミレニアル(千年紀)」を巡って世界で騒ぎがあったことは筆者などには記憶に新しい。その騒動から早20余年、21世紀も既にその5分の1が終わってしまった。この年月の流れの速さに比べて、周知のように日本経済の停滞は長期化している。1990年代に入ってから約30年、日本の名目GDPは年間500~550兆円の水準で動きが止まってしまっている。

月日の経つ速さに思いを馳せながら、2022年で終戦から何年になるか、計算してみた。ちょうど77年になる。では終戦の年1945年を起点にその77年前は何年でどんな時代だったか。すると答えは1868年、すなわち明治維新、王政復古の大号令が発せられた年になる。ご存知のように、その前年1967年に徳川幕府最後の将軍15代徳川慶喜が大政を奉還、翌年新政府が誕生した。以降、新政府はすぐに廃藩置県を断行(1891年)、サムライ社会を刷新し近代化に向けて大きく舵を切った。

その後の日本は1889年に大日本帝国憲法を発布、翌年帝国議会を開会し国際社会に向けて近代国家としての体制を整えていった。時代は日清、日露の戦争を経て明治から大正、昭和へと流れていくのだが、多くの革新的な若者達の手による1868年の明治維新は、正に「維新」と言えるだけの大きな革命だった。

明治維新という革命の行きつく先が77年後、1945年の壊滅的な敗戦であったことは誠に残念であったが、そこから日本は再び立ち直り、モノづくり産業=製造業を中心に世界から注目された日本的経営も手伝って、1980年代に一度は世界第2位の経済大国として蘇った。とはいえ、冒頭で述べたようにその後の1990年代以降についての日本経済は、芳しくない状態が長期に続いている。

日本経済の長期低迷の根底に世界的とも言える人口減少という大きな要因があることは確かだが、諸外国を見ると新しいイノベーションの創出等で、それなりの成長を実現しており、日本の国際競争力の低下(スイスIMDの「世界競争力年鑑」によると、日本の国際競争力は1980年代の1位から徐々にランキングを下げ、2020年には34位となっている)などにも見られるように、日本が世界から置いてきぼりを食っていることは紛れもない事実であり、事態は相当深刻だといえよう。

日本経済、というより日本全体の立て直しに何が必要なのだろうか。求められるのは恐らく小手先の改革ではなく、日本全体の抜本的な構造改革、意識改革、すなわち「維新」なのであろう。幸い経済面では若者を中心とした従来の日本には数少なかったイノベイティブな起業家の自己増殖=拡大再生産がようやく日本でも始まろうとしている。彼らを核とし既存の大企業等を巻き込んだ新しい社会・経済構造の確立を目指したい。

終戦から77年、新春にあたって令和4年、2022年を起点にした新しい「維新」、それによる新しい日本の実現に期待したい。

※「THE INDEPENDENTS」2022年2月号 掲載
※冊子掲載時点での情報です