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「日本のVCの発展と問題点(2)」

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インデペンデンツクラブ代表理事
秦 信行 氏

早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)
野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。
1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。
1994年國學院大学に移り、現在同大学名誉教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。
日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。
2019年7月よりインデペンデンツクラブ代表理事に就任。



<「日本のVCの発展と問題点(1)」はこちら>

 前回のこのコラムで、日本のVCの発展過程を振り返りながら、過去日本のVCにとって問題だった点、具体的にいえば、一つは日本の株式上場=IPO制度の問題、二つ目に2000年頃まで日本では米国と違って広義の金融機関等が関係する系列VCと呼ばれるVCがほとんどであったこと、それと三つ目にVCのほとんどが株式会社組織だったこと、を指摘した。では何故それらの点が問題だったと考えられるのか。

 一つ目の株式上場=IPOの問題は、過去2000年頃まで日本の株式市場の上場基準はかなり厳しく、例えば上場直前の決算で黒字化していることが条件になっていて、それもあって会社の創業から上場までの年数が平均で30年位と相当長かった。一方、米国では、1971年にNASDAQという革新的な事業を営む小さい企業を受け入れる株式市場が出来ており、赤字でも上場は可能で、創業から数年で上場ができる状態にあった。

 その結果日本では、通常期限が10年のVCファンドから創業当初、ないしは創業から数年のシードやアーリーといったステージのベンチャーに投資を行うことは難しかった。何故なら、創業後あまり時間が経っていない段階で投資を行うと、IPOがほぼ唯一のVC投資の回収手段であった当時においては、ファンド期限内での資金回収が出来なくなってしまうからである。勢い当時のVC投資は創業後20年以上の、経営的に既にある程度出来上がった企業に投資する結果になっていた。つまり、VCが本来担うべき創業後余り時間が経っていない「死の谷」と呼ばれる段階のベンチャーへの投資が出来ていなかったのだ。

 二つ目の主に金融系列のVCが多い問題については、VCが日本に導入された当時、VCは金融業だという認識と資金力の点でVCの多くが金融系列のVCになったと考えられる。では何故系列VCが問題なのか。一番の問題は親会社の金融機関等の制度や仕組みに従う必要があり、VC独自の人事制度や報酬体系が取りづらい点であろう。例えばキャピタリストには長い経験が必要だが、系列VCでは人事ローテーションのためにファンド期限の10年間をフルにキャピタリストとして経験することが難しいといったことである。

 三つ目のVCが株式会社である点は、株式会社が法人であるため法人税が課せられ、投資で得た日本流に言う成功報酬、キャリードインタレストをすべてキャピタリストが得ることが出来ない。つまり、キャピタリストのインセンティブが小さくなるのだ。そのため米国のVC=ファンドGPの組織形態の多くはLPS(Limited Partnership)という組合かLLC(Limited Liability Company、法人だが法人税がかからない組織形態)になっている。

 しかし、こうした日本のVCの問題は、1999年の東証マザーズ市場など新興市場の新設、1990年代末からの独立系VCの登場と拡大、GPを有限責任事業組合(LLP=Limited Liability Partner)という組合にするケースの拡大などで2000年以降は改善されてきた。

 とはいえ、まだ日本のVCに残された問題、課題は残っている。それらについては次回のこのコラムで紹介し、筆者が考えている改善策を示したい。



※「THE INDEPENDENTS」2019年8月号 掲載
※冊子掲載時点での情報です