「起業家の素養」
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最近文部科学省が日本の大学はすべて理系の大学にすべきだという考え方を打ち出したというので大きな波紋を呼んだ。文科省の意向がその通りなのかどうか、筆者には正確なところは分からない。しかし、事実とするとかなり乱暴な話といわざるをえない。
それに関連して、先週の水曜日、10月12日の日経新聞夕刊の「あすへの話題」というコラムにキャスターの国谷裕子さんが興味深い話を書かれていた。
国谷さんはまず、米国の著名な生化学者で、かつ有名なジュリアード音楽院でチェロを学んだトーマス・コンバーグの言葉を引用する。「音楽を学んだ学生が科学の道に進んだ場合、実験で多くの失敗をしても打たれ強い。何故なら音楽の練習は常につまずきや失敗の連続だから」、と。つまり、音楽を学んだ人は粘り強い科学者になれるのだというのだ。
さらに国谷さんは、最近日本で開かれた科学者と芸術家が集う催しを紹介する。その催しは、一般的には交わるところがないと考えられている科学者と芸術家が重なり合う領域を探求することを目的に開かれ、両者による討論と演奏が行われたという。
論理的な思考で物事を探求する科学者と感性によって芸術的な才能を洗練させる芸術家は普通に考えると両者の重なり合うところ、交わるところなどないように思えるが、実は交わるところはあり、それどころか交わることで両者に新たな視野の広がりをもたらすことが出来るという。その実践者として国谷さんはその催しに参加していた世界的なチェリストであるヨーヨー・マを持ち出す。
ヨーヨー・マはチェリストでありながらハーバード大学で人類学も学んでいる。そして彼は、演奏する際に常に作曲家の意図を考えながら演奏しているそうだし、さらに科学者のように実験を繰り返しながら創意工夫を積み重ねていっているのだという。
日本で理系と文系を分ける形の教育が始まったのは何時頃のことだろうか。筆者の大学の学生を聞いてみると、中学までは流石に理系、文系の両方の授業科目を勉強しているようだが、高校になると1年生はともかく2年生からは理系、文系に完全に分けられ、理系の生徒は文系の授業科目を、文系の生徒は理系の授業科目をほとんど勉強しなくても卒業できると聞いて驚いた。こうなったのは大学、特に私立大学の受験科目が限られているからであろうが、これでは余りに歪な教育内容だと言わざるを得ない。
日本で起業家人材の不足が言われて久しい。起業家教育で有名なスタンフォード大学では起業家に必要な素養は、人間が持っている様々な要素をバランス良く持っていることだと言われる。だからこそ起業家は、あらゆる職業人になれる素地を持っているのだと。
筆者がかつて面談した海外の起業家の多くは、自然科学と経営学、2つの学位を持っている人達だった。それは起業家の知識レベルの広がりを意味すること以上に、人間としての幅が広がることにおいて重要な意味を持っているように思う。翻って、日本の教育体制の改革を望みたい。
※「THE INDEPENDENTS」2016年11月号 - p25より