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「新規事業開発のポイント」

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東海電子株式会社
代表取締役 杉本 一成さん


1945年東京都生まれ。1960年(株)東芝 技能養成所入所。63年(株)東芝 入社 (配電盤機器配属)。69年(有)杉本製作所 設立 代表取締役就任。79年当社設立 代表取締役就任。

住所: 静岡県富士市厚原247-15

TEL:0545-67-8988 設立: 1979年11月19日  資本金:82,800,000円
http://www.tokai-denshi.co.jp/

飲酒による交通事故があとを絶ちません。TVニュースをきっかけにアルコール測定器開発に取り組んだ東海電子。杉本一成社長と長男である杉本哲也専務、技術担当の都築常務にお話を伺いました。

―カシオの下請けからスタート
杉本社長:30年前にカシオ計算機株式会社(以下:カシオ)の下請工場として創業しました。今、メイン商品となっている業務用アルコール測定器は、平成13年から開発をスタートしました。当社の前身である杉本製作所は出身地の東大和(東京)にありましたが、取引先であるカシオ時計の生産拠点移転に伴い、静岡県富士市で東海電子を設立しました。

―資金面より辛かった労務問題
杉本社長:しかし下請けの仕事はちょっとした経済の変動や海外工場移転で大きく影響を受けます。やむを得ず従業員の解雇に踏み切ったことが3度もありました。当時は組合の力が強く労務問題のこじれで会社が倒産してしまう時代でした。会社を維持していくためには、昨日まで一緒に働いてきた仲間を解雇しなくてはならずとてもキツイ思いをしました。

―試作はできても商品ができなかった15年
杉本社長:何とか「脱下請」を図りたいと15年間悪戦苦闘しました。下請けで蓄えた色々な技術をフルに使ったのですが、試作はできても商品にはなりませんでした。商品として売れるためには全く違った技術やノウハウが必要になってくるのです。壁はそこでした。

―大企業経験者の入社で転機を迎えた開発体制
杉本社長:そのような頃にカシオで社長賞まで取った都築が縁あって入社しました。
都築常務:私は半導体設計から高速カラープリンタの開発までを経験した技術者でした。30年を区切りに新たな職場で商品開発に挑戦したいと考えており、面接では「東海電子を必ず名のある会社にします」と宣言して入社しました。

―TVのニュースをヒントに始めた試作品開発
杉本社長:たまたま飲酒運転による事故のニュースを見た時、アルコール濃度を測る機械がもっとコンパクトになれば需要があると思い、都築常務に「できるか?」と聞くとすぐに作ってくれました。ところが私は全く知りませんでしたがインターネットではアルコール検知器は沢山出回っていたのです。しかし都築常務は黙って試作品を作ってくれました。今から思えば知らないが幸いし、言わないが幸いしました。

―マーケティングを"無視"した企画開発
都築常務:要望があればとにかく作ってみるということが大切だと思いますし、それが東海電子の決定プロセスの良さとも言えます。今回のようなケースは大企業ではマーケティング段階で撥ねられてしまうでしょう。その後調べていくと世に出回っている測定器には、恒常的に正しい測定結果を出せるものがひとつもありませんでした。正しい測定結果を出すためには湿度や温度などの様々な外的環境にも耐えうるための技術が必要であり、それにより測定の精度を高めた商品を作ることで、プロ向けのマーケットで勝負できるという考えに至りました。

―ユーザーサイドに立った機能をつけ商品化
杉本社長:バス会社や運送会社にとって飲酒運転事故は致命的です。企業としてきっちり管理する責任があります。そのためには記録機能としてパソコンに繋げたり、カメラで不正防止するなど、業務用アルコール測定器にどのような機能が必要か、社員皆で色々なアイデアを出し合い正確な測定技術と管理記録機能に重点を置いた商品となりました。

―自ら価格を決定することの難しさ
杉本社長:今まで下請業務のみだったため、常に相手からの指値で受注してきました。しかし自社製品を持つとなると、当たり前ではありますが今度は自分達で価格を設定する難しさを実感しました。社内でも意見が割れました。最終的にはユーザーが支払える範囲を勘案し14万8000円と決めました。ネットで出回っていたコンシューマ向け商品は1万円前後です。それに比べると大変高い金額でした。

―不完全だからできたビジネスモデル
杉本専務:それに加えて年間保守契約モデルとし、売上を積み重ねるビジネスモデルができました。この原点は中核部品である半導体センサーに耐久性がないということです。使っても使わなくても時間が経てば半導体センサーは劣化してしまい反応しなくなってしまうのです。その機能を維持するには部品交換が必要となり、保守という形の継続ビジネスモデルができました。

―絶妙のタイミングだった新商品発表
杉本社長:商品は完成したが、どうプロモーションするかでも戸惑いました。偶然プレス発表直前に、東名高速でのJRバス不祥事を連日マスコミが取り上げており、おかげで日経産業、日経新聞に記事が掲載された途端に問い合わせが殺到しました。しかし新しい商品ですのでなかなか売れません。第一号は地元企業ということで「しずてつジャストライン株式会社」様にテスト導入していただきました。

―完成度の低さから致命的欠陥が発覚
杉本社長:10月に機械を納入したのですが、その年の12月、一斉に正常な人に異常値が出るというトラブルが発生しました。原因は冬場の結露と我々の想定を超えた使用頻度でした。測定器としては致命的なトラブルです。一瞬にして血の気が引き、会社整理を覚悟しました。
杉本専務::私はすぐユーザーに謝罪と対応に出向きました。とにかく隠しても仕方がありませんので正直に話しました。ところがユーザーからはむしろ「また使えるようにがんばれ」と励まされました。あの一言のおかげで現在の弊社があると思っています。

―なくてはならない製品だから救われた
杉本社長:最終的に問題解決してようやく入金があったのは翌年4月でした。使用回数を抑えたりヒーター機能を改善して何とか対応しました。ユーザーもこの機械が機能しないと業務に支障がでるので真剣です。お詫びに伺うと「東海電子の製品を入れてよかった」と言われ、改めて世の中で要求されている、なくてはならない存在である事を知りました。

―全部の製品のセンサーを無償で交換する
杉本社長:抜本的に製品の信頼性を高めるため、燃料電池方式の開発に着手しました。従来の半導体センサー方式ではいろいろなアルコール成分に反応し精度が悪かったからです。販売済み4,000台のセンサーを1年半かけて今年の7月までに全部入れ替えました。最初は有償でしたが、誤作動が起きてからでは手遅れだと思い、一気に無償で交換しました。

―直接契約することで保守に責任を持つ
杉本社長:機械販売は販売代理店も使いますが、保守は全て弊社が直接行っています。この機械の測定結果次第ではドライバーの労務問題に発展することもあると思っています。
杉本専務:商品の責任所在はメーカーにあります。万が一のトラブルに早く対応するためにも保守だけはユーザーと直接契約しています。

―ニッチ市場が想定外に大きく成長
杉本社長:もともとニッチな市場で高いシェアを取りたいと考えています。今までの販売先は3,500社13,000事業所ですが、それはまだ我々が想定している市場全体の10%にも満たないものです。2011年3月には事業所ごとのアルコール測定器設置が義務化、合わせて出先でも検査が必要とされます。行政による義務化で大きな流れを捉えられるのではと思っています。弊社で開発したモバイル対応(遠隔地対応でアルコール濃度測定器)やインターロック装置(アルコールを検知するとエンジン始動不可になるシステム)も追い風を受けています。

―アナログ技術を若い世代に伝承していく
杉本社長:アナログ回路は図面の世界ですから簡単にコピーはできません。それが都築常務の得意分野でもありますし同時に当社の強みになっています。
都築常務:団塊の世代が得意なアナログ技術をこれから若い新入社員にどう伝承するかが課題です。専門分野以外からのトータルな視点での開発する大切さも教えたいと思います。

―次の世代の環境作りのために上場していきたい
杉本社長:株式公開は企業人としての私の思いでもあります。社員に大きな目標を持って励んでほしいし、これから世界に展開するためには上場が必要です。有言実行の性格ですので言い出したら実現したいと思います。

―社会貢献できるものは確実に需要がある
杉本社長:今後は人体に悪影響を与えるような特異ガスを検知できるような呼気分析器を作りたいですね。高齢社会が進む中、健康や医療分野などで社会が要求しているものを作りたいですし、社会に貢献できるものは確実に売れると思います。この不況下でも安全に対する投資は欠かせられないものだと確信しました。

―本日はありがとうございました。最後に印象に残った本を教えてください。
杉本社長:本はほとんど読みませんね。眼がだんだん悪くなってきましたので。唯一の趣味はギターです。元々プロ志向でクラシックギター育ちです。だんだん指が動きづらくなったので、最近頚椎の手術をしました。医者からは本業でもないのに本当にいいのか?と聞かれましたが今でもよく弾き語りをしています。

※全文は「THE INDEPENDENTS」2009年12月号にてご覧いただけます