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「事業計画発表会前史を振り返り」

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早稲田大学
商学博士 松田 修一 氏

1943年山口県大島郡大島町(現周防大島町)生まれ。
1972年早稲田大学大学院商学研究科博士課程修了。
1973年監査法人サンワ事務所(現監査法人トーマツ)入所、パートナー。
1986年より早稲田大学に着任し、ビジネススクール教授などを歴任。日本ベンチャー学会会長、早大アントレプレヌール研究会代表世話人も務める。
2012年3月教授を退官後、株式会社インディペンデンツ顧問に就任。
インデペンデンツクラブ会長

1990年平成のバブルが崩壊しつつあるその時、ボストン大学に半年間留学しました。

1985年のG5蔵相会議のプラザ合意で、1ドル250円時代に、100円の為替相場の切り上げをありました。日本は、輸出企業が壊滅するといわれた経済危機を乗り越えました。米国の製造業が逆に競争力をなくして、日本がモノづくり王国になり、日本の日経平均株価が4万円近くまで到達し、高株価を背景に時価発行が通常の資金調達手段となりました。不動産の異常な値上がりにより、東京の土地時価で、米国全土が買えるといわれました。

銀行は担保価値の120%まで貸し込みました。日本企業は、間接金融と直接金融で得た豊富な資金をベースに、米国の不動産や会社を買収していました。地方銀行までニューヨークに支店を開設し、毎週開設パーティーが開かれるような時期です。

これらが成功すると、少子高齢化社会に向かいつつあるハイコスト国家日本を、海外投資リターンにより救済できるのではないかという、期待を抱かせました。しかし、海外進出した大企業は、1980年代後半から、地域セグメント情報の開示をしなくなり、日本、米州、欧州、アジアでの採算が全く不明になりました。バブルに乗って海外進出しているが、その経営実態が外部から分からなくなっていました。

このような時代背景の中、ボストン大学を窓口に、2つの調査をすることが目的でした。

1つは、ベンチャー企業のIPO5年前、IPO時点、そして5年後の現在の戦略変化を調査することです。会社概要、経営陣、事業計画策定、マーケティング、人材確保、情報戦略、財務戦略等の変化という視点から、日米比較をすることが目的でした。経営者のキャリアを始め、日米の違いを痛感しました。この調査を手伝ってくれたボストン大学の助教授2人と共著で、Journal of Venturingに投稿・掲載されました。

2つ目は、米国に進出している日本企業で、従業員1000人以上のグループ中核企業の戦略調査をすることでした。アンケート回答を得た中から、25社のトップをインタビューしました。金融、自動車、電気、印刷等の米国本社や工場です。日本で積極的な増資や設備投資をしていると報道されている現地法人のほとんどが、赤字であることが分かりました。赤字資金を金利の高い米国で借り入れることができないので、増資によって補填していたのが現状です。調査結果は、「変革 日本型経営」(第一法規、1992年)で出版しました。

少子高齢化が進む日本の将来を救済するのは、決して大企業ではなく、志の高い技術ベースのベンチャー企業しかないと考え、留学前に中断していた「早稲田大学アントレプレヌール研究会」を多くの方々の協力を得て発足したのが1993年です。前年には、日経株価の暴落もあり、IPO市場が一時閉鎖されました。

1994~1997年にかけて産官学が一体となったベンチャー支援総合政策が次々と打ち出されました。「事業計画発表会」のスタートは、このような時代背景から発足しました。事業計画発表会200回の節目の基調講演では、20年近くの経緯を踏まえながら、国内市場が縮小する中、技術立国日本を推進し、「一社でも多くのIPOを目指すベンチャー企業の輩出・支援をする」という、インデペンデンツクラブの役割を共に考えたいと思います。