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「<特別対談>ポエック 来山哲二」

公開

<聞き手>
株式会社AGSコンサルティング
専務取締役 小原 靖明さん
1985年明治大学大学院法学研究科修了。1989年当社入社。2000年IPO支援会社ベックワンソリューション設立、代表取締役就任。2007年合併に伴い、当社取締役就任。2012年3月常務取締役。2014年3月専務取締役(現任)

<話し手>
ポエック株式会社
代表取締役 来山哲二さん
1948年5月21日富山生まれ。1970年テラルキョクトウ(福山市)入社。1979年五大産業入社。1989年当社設立、代表取締役社長(現任)。2005年三和テスコ代表取締役社長(現任)。2009年東洋精機産業代表取締役社長(現任)。2014年アムノス代表取締役社長(現任)。
<ポエック株式会社 概要>
設 立:1989年1月25日
資本金:294,750千円
所在地:広島県福山市南蔵王町2-1-12
事業内容:①環境・エネルギー事業、②防災・安全事業・ライフサイエンス事業

<特別対談>これからのIPOスタイル

ポンプメーカーのM&A推進による事業拡大


小原:ポエックグループは、ポンプ機器、防災・環境関連機器、そして現在はバイオ事業まで展開されています。広島県福山市から日本全国、そして世界まで広がる中、事業ストーリーはどのようにお考えでしょうか。
来山:1989年にポンプ機器を扱う商社として、同じ職場にいた私と釆野(現副社長)が共に創業しました。事業は順調に推移しましたが、商社不要論が言われた時代で卸売という事業形態には不安を持っていました。そこに偶然の出会いから、非常電源不要な災害時対応型の消火装置「ナイアス」を開発しました。それ以来、「ひと、みず、くうき」を3大テーマにオンリーワン、ナンバーワン商品開発を中心とした事業展開を行っています。

小原:「ナイアス」はニュービジネス大賞や日本ものづくり大賞で優秀賞を受賞されて高く評価されています。商社からものづくり企業への転換において苦労された点はどこでしょうか。
来山:ものづくりには認可から販売までに最低10年は必要です。「ナイアス」は1998年に日本消防設備安全センターの評定品となってから2009年にようやく認定品となりました。一方で製造部門強化のため、M&Aは6回行いました。

小原:M&A実行には素早い決断が求められます。買収資金も多額になり財務リスクも高まります。資金調達に関してはベンチャーキャピタル(VC)からの出資だけで十分でしたか。
来山:2003年の㈱三和テスコ買収時には、民間の金融機関と中小企業金融公庫(現 日本政策金融公庫)から5億円の資金調達ができました。決め手は5カ年の事業計画(経営革新計画)を早急に提出できた事です。VCからの出資は10社、持株比率は最大時20%まで上昇しましたが、ファンド満期到来で大半は買い戻し、現在は金融機関系VCを中心に数%まで下がっています。

小原:子会社アムノスを設立し、再生医療関連分野で欧米各国の市場を開拓する計画です。バイオヘルス事業は、貴社社の既存事業とは事業戦略も資金戦略も全く違いますが、今後グループ戦略の中でどのように位置付けていくのですか。
来山:富山大学医学部との連携で、2012年にライフサイエンス事業部を設置、2014年1月に私と同じく富山出身の㈱TSSと合弁で「ヒト由来乾燥羊膜」の開発製造販売会社として㈱アムノスを新規設立しました。世界の再生医療市場は1000億円、2020年には1兆円を予想される中、米国の類似企業の売り上げは70億円、140億円と倍々に伸びています。アムノスも日本で認可を待っている時間はなく、早急にFDA認可を得る為に工場を建設します。資本金は3億円に増資して、アムノス自身も東証マザー上場実現を目指しています。

小原:ポエック本体の上場はどのようなタイミングで考えていますか。
来山:「ナイアス」には追い風が吹いています。老人ホームや原発などの地震・災害時に確実に作動する消火設備として非常に注目されています。フィンランド発のプレート&シェル熱交換器や、創業以来の中核であるポンプ・送風機販売も順調に伸びています。私の座右の銘は「先用後利」です。資金調達はIPO時より上場後のセカンドファイナンスで大きく行いたいと考えています。当社は10年間配当を継続しており、ロングランで市場から評価されたらと思います。

小原:備後地域は数多くの上場企業を輩出してきた地域として有名です。最後に今後の抱負を教えてください。
来山:「びんごIPO倶楽部」にはともかく個性的な社長が多い。備後にはそれぞれがなりふり構わず独自の分野を切り拓こうとする風土があります。私は社員、取引先、金融機関、地域の人々、今まで多くの出会いに支えられてきました。これからも「出会いを大切に」、そして「世の中に喜んでいただく会社」として、私はゴールのない駅伝のランナーとしてバトンを次の世代に渡していきたいと思います。
小原:本日は大変奥深いお話をありがとうございました。