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「尾崎一法氏を悼む」

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國學院大学
教授 秦 信行 氏

野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。
1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。
1994年國學院大学に移り、現在同大学教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。
日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。
早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)

ベンチャーコミュニティを巡って

 
アント・キャピタル・パートナーズの尾崎一法氏が突然逝った。 

 昨年末、本人から直接難しい病気だと聞いた。その時は既に手術も終わっていた段階で、病気であることを感じさせなかった。その後も、日本ベンチャーキャピタル協会(JVCA)の会合で3~4回一緒になったが、協会長として精力的に活躍している様子だった。最後に会ったのは2月中旬だったと思う。その時も少し痩せたかなと思う程度で、そんなにすぐにどうこうなるとは、つゆ思わなかった。 

 4月始め、突然訃報を聞いた。「えっ!」と思ったのが最初の感想だった。3月末に容態が急変して入院、1週間も経たないうちの死だったと聞いた。それから暫く、筆者には珍しく強い喪失感に襲われた。 

 尾崎氏とは、筆者が1991年に日本合同ファイナンス(現ジャフコ)に野村総研から出向した3年半、同僚だった。年齢は確か一つ筆者より下だったと思う。筆者が大学に移った後も折に触れ彼に色々なことで相談に乗ってもらった。良き相談相手だった。

 尾崎氏は大学卒業後石川島播磨重工(現IHI)に入社、海外での勤務経験を経て、日本合同ファイナンスに転職した。その後、2000年近くまでジャフコで企画関係の業務、さらには英国ロンドンの現地法人(現在は撤退)のトップを務めた。 

 先述したように、彼とは筆者が出向した時からの付き合いだが、彼との出向時代の仕事で一番の思い出は、彼のロンドン時代、英国の有名な企業家であるリチャード・ブランソン率いるヴァ-ジン・グループ、中でも欧州でレコード店を展開していたヴァージン・レコードへの出資を企画し、日英共同で戦略を練ったことである。当時ロンドンの野村ハウスにあったジャフコの現地法人のオフィスで、現地スタッフも入れて長時間議論をしたことを思い出す。残念ながら結果は上手くいかなかったが・・・。

 尾崎氏は、ジャフコで取締役を務めた後、GEキャピタルを経てアント・キャピタル・パートナーズを創設する。アントでの活動は筆者も詳しくは知らないが、筆者が思い出すのは、セカンダリー・ファンドの成功である。ご存知のようにセカンダリー・ファンドは、ファンド投資でリビングデットになったような会社をファンドからまとめて安く購入、再運用して価値向上を図るファンドで、日本では主として2000年以降に生まれた。アントは、尾崎氏のリードの下、セカンダリー・ファンドで先鞭をつけ、成果も上げた。 

 尾崎氏はベンチャーキャピタル投資のみならず、広くバイアウト投資も含めたPE(プライベート・エクイティ)投資の分野で数々の業績を残された。前述したように新しい分野を切り開くことに熱心で、それも戦略的、論理的に取り組んだ。

※「THE INDEPENDENTS」2015年6月号 - p20より