アイキャッチ

「「メドピア創業、IPO、そしてIPO後について」」

公開


メドピア株式会社
代表取締役社長/医師・医学博士
石見 陽 氏

1974年3月9日生。千葉県成田高校卒業。1999年信州大学医学部卒業後、東京女子医科大学病院循環器内科学に入局。研究テーマは、血管再生医学。2003年12月若手医師のネットワーク「ネット医局」を設立し、代表に就任。2004年12月株式会社メディカル・オブリージュ(現・メドピア株式会社)を設立。現在も週に一度の診療を継続し、医療現場に立つ。日本内科学会認定内科医。

【バックナンバー】

2008年12月~*最新号もこちら

【イベント一覧】

全国年45回の事業計画発表会他

【入会案内】

月刊誌購読、イベント参加etc.

【マイページ登録】

メルマガ購読、電子書籍閲覧etc.


■医師の集合知を活用
 当社は、会社のミッションを「Supporting0Doctors,0Helping Patients.(医師を支援すること。そして患者を救うこと。)」と定め、医師向け会員制コミュニティサイト「MedPeer」を運営しています。薬剤の口コミ評価をはじめとした、医師の知恵や経験を集合知として共有するナレッジプラットフォームとして医師に利用されています。収益は製薬企業からの広告等で、証券市場ではエムスリー(東1:2413)が類似会社と言われます。日本には約30万人の医師がいますが、その4人に1人、約7.5万人が現在MedPeerの会員です。

■IPOへの決意
 もともと起業するつもりはなく、信州大学医学部を卒業して医師になりました。今でも週1回は医師として診療を行っています。2004年に起業しましたが、当時のサービスは医師人材紹介会社へ一括登録できる医師求人情報サービスで、あくまでサイドビジネスでした。当時は資本金1円で設立するのがブームだった頃でした。
 IPOを目指す事を決めたのは、4つの要因(直感、本、ミクシィ、先輩の言葉)があります。まずは直感。当然自身も医師であるので、医師のニーズを知っていました。医師は自分の専門領域外についての情報取得や、医師同士での意見交換する場を求めており、そこには価値があるはずだと思いました。次に「ビジョナリーカンパニー」。その中で、50年以上続く会社は理念と利益の最大化を同時達成している、ということを知りました。これで事業の在り方、お金儲けに対しての抵抗感がなくなり、経営の軸が明確になりました。そしてミクシィの上場(2006年9月)で、コミュニティサイトがビジネスとして成立することを知りました。最後は「中途半端な会社が世の中に迷惑をかける。プライベート企業でいるかパブリック企業を目指すのか、どちらかを選択すべきだ」という先輩経営者の言葉。公共性のある事業と思っていたので迷わずIPOを決意しました。

■IPOへの道のり
 しかし当時尋ねたVCは事業計画書の内容を見る事すらしません。「ベンチャーには死の谷がある。借金してでもそれを乗り越える覚悟はあるのか」と、本気度を問われました。当時は研修医として週5日勤め、ビジネスは1日だけでしたが、その後すぐに生活も事業中心へと改めました。ただ目算は外れ、サイト上の相互紹介では会員は増えず、学会で出展して医師にビラを配りで会員募集して、何とか7400名まで集めました。しかしこの方法では限界がありました。運よく日経BP社(日経メディカルオンライン)と提携ができ、2年後には会員28,000人と医師の1割にまで増えました。普段は「アリの視点」が必要ですが、ときに重要なのが「トンボの視点」です。
 ところが会員が獲得できても製薬企業からの売上はすぐには増えません。出展ブース費用が嵩み資金は枯渇しました。このタイミングでジャフコより1.6億円出資いただきました。債務超過状態にも関わらず出してくださり、感謝しています。おそらくは、1兆円という巨大な医薬品市場と成長性、ファウンダーとチームとが一体となってこの事業モデルに取り組む姿勢が評価されたのだと思います。プラットフォーム事業は作り上げるまでは大変ですが、完成したらその上のモジュール展開によって一気に収益が上がります。当社は3年前までは赤字でしたが、世界最大手の製薬会社であるファイザーからの受注を機に取引が増えて黒字転換、昨年には上場することができました。

■IPO後について
 医師集合知の活用により、EHR(Electronic Health Record:電子カルテを中心とした医療情報をネットワーク経由で複数の医療機関で情報共有する仕組み)を構築し、最終的には患者向けの医療情報共有サービスを展開していきたいと考えています。ヘルスケア全般に関するプラットフォームとして、医師間から医療現場、そして家庭でも活用される事を目指し、当社ビジョン「集合知によって医療分野の変革を行うこと」を実現していきます。

■番外編
 第6期・第7期はメドピアの暗黒時代でした。赤字続きで内部対立が激化、社員は一斉に辞め崩壊が始まりました。これを救ってくれたのは当時のCTOからの「サーバ1台あればどこでもやり直せる」という一言です。この言葉に勇気づけられました。振り返ると自分はメドピアの想いをみんなに伝えきれていなかった。当社が会社のミッション、ビジョンを大事にしている理由はここにあります。なぜIPOできたか。苦しい時も諦めずに事業を続けたからです。ただ、戻れない失敗をしてはいけません。資本政策と契約書は重要です。私でよければいつでも相談に来てください。

2015年2月9日東京インデペンデンツクラブ 基調講演より