「日本酒のグローバル展開」
インデペンデンツクラブ代表理事 秦 信行 氏 早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)。野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。1994年國學院大学に移り、現在同大学名誉教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。2019年7月よりインデペンデンツクラブ代表理事に就任。 |
先日、M&A仲介の株式会社ストライクが主催するイベント「第14回 Conference of S venture Lab.」に参加させて頂き、「スタートアップが変える、老舗企業大国 日本。~サケノベーションによる日本酒改革~」と題するトークセッションで、株式会社Clearの代表取締役CEOの生駒龍史氏による大変刺激的な話をお聞きした。生駒氏のClearは、日本酒のイノベーション=「サケノベーション」を掲げ、創業後10年、日本酒という伝統産業のイノベーションを目指し、さらにはグローバル展開を目指されている。
筆者は昔々、食品業界担当の証券アナリストだったことがあり、その当時、日本発の食品でグローバル展開が出来ている食品は3つあると言われていた。
一つ目がグルタミン酸ナトリウムを主成分とするうま味調味料の「味の素」。東京大学の池田菊苗博士によって開発された「味の素」は、現在の味の素株式会社の前身である合資会社鈴木製薬所から1909年(明治42年)に一般販売が開始され、それ以降、台湾、朝鮮、中国本土、更には昭和初期にはアメリカ大陸にも販路を拡大していった。
二つ目が醤油。醤油のグローバル展開は、1917年(大正6年)に千葉県野田の有力醸造業者8家が合同して出来た野田醤油株式会社(現キッコーマン株式会社)によって担われたと言って良いであろう。キッコーマンは戦前から海外展開に積極的だったようだが、1973年に米国ウィスコンシン州に海外初の生産拠点を設けたことの貢献が大きかったと思う。
筆者は1980年頃その工場を訪ねたことがあったが、ウィスコンシンを工場立地に選んだことに関して面白い話を聴いた。それは、米国工場の候補地は7つあったが、ウィスコンシンが選ばれた理由の一つに、ウィスコンシンの工場用地の鬼門が切れていたからだというのだ。如何にも伝統を重んじながらも革新を続けるキッコーマンらしいと感じた次第であった。
三つ目がインスタントラーメン、その先陣を切った日清食品。1970年に米国ロサンゼルスに生産工場を作ったが、その際、社内では反対意見の方が多かったと聞く。理由は3点、1点目は西洋社会ではズルズルと音を立てて食べるような食品がないこと、2点目は熱々で食べる食品がないこと、3点目は西洋には平たいスープ皿はあるが、ラーメンを入れるようなボール型の食器がないこと。しかし創業者安藤百福氏のインスタントラーメンを世界にという思いは強く、多くの反対を押し切って米国での工場建設を実現したと聞いた。日清食品は米国工場建設に続いて、1971年にカップヌードルを開発、それも成功要因の一つだと思われる。
食品・食べ物は地域・地域の人々の生活や文化に根差したものであるだけに、他の商品に比べて基本的にはグローバルに受け入れられるのは難しいと思われる。とはいえ日本酒に関しては、グローバル化が可能な食品ではないか、というより筆者の個人的な好みから言って、グローバル化して欲しい日本の食品なのだ。
生駒氏のClearは、今までの日本酒は価格帯の多様性に乏しかったことに着目、単価のかなり高い、ラグジュアリーな日本酒の市場を日本のみならずグローバルに作ることを目指されるという。この戦略が成功し、四つ目のグローバル日本食品になることを期待したい。
※冊子掲載時点での情報です