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「起業家の「ゆりかご」」

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インデペンデンツクラブ代表理事
秦 信行 氏

早稲田大学政経学部卒業。同大学院修士課程修了(経済学修士)。野村総合研究所にて17年間証券アナリスト、インベストメントバンキング業務等に従事。1991年JAFCO に出向、審査部長、海外審査部長を歴任。1994年國學院大学に移り、現在同大学名誉教授。1999年から約2年間スタンフォード大学客員研究員。日本ベンチャー学会理事であり、日本ベンチャーキャピタル協会設立にも中心的に尽力。2019年7月よりインデペンデンツクラブ代表理事に就任。



 正月早々の日経新聞朝刊に「メルカリ、起業家ゆりかご」という見出しの記事が載ったのをお読みになった方も多いと思われる。筆者はその記事を読んで、ハイテクベンチャーの集積地帯であるシリコンバレーの創成期、半導体産業の集積が始まった頃のシリコンバレーの半導体開発ベンチャー、フェアチャイルド・セミコンダクター(以下、フェアチャイルド)という会社のことを思い出した。

 シリコンバレーの歴史について書かれた本には、以下の話はいずれも取り上げられているように思う。実はフェアチャイルドこそがシリコンバレーにおいての半導体産業集積、引いてはその後のハイテクベンチャー集積の原点ともいえる企業なのだ。

 フェアチャイルドは1957年に設立された。この会社を立ち上げたのはその1年前に同じくシリコンバレーで設立されたショックレー半導体研究所の研究者達であった。ショックレー半導体研究所は、その名前にあるようにウィリアム・ショックレーというトランジスタの開発者の一人で、ノーベル物理学賞を受賞した人を所長とする組織だった。ただ、このショックレーという人は人間的に少し問題のある人だったらしく、経営のやり方を巡って部下と対立、部下8人全員が1年で辞めてしまったのだ(そのため彼らは「8人の反逆者」と呼ばれたりする)。その中には、その後インテルを創業するゴードン・ムーアやロバート・ノイス、さらには有力VCであるクライナー・パーキンスの創業者の一人ユージーン・クライナーなどが含まれていた。彼らは東部のカメラメーカーだったフェアチャイルド・カメラに資金援助を頼み、子会社としてフェアチャイルドは設立された。

 こうして設立されたフェアチャイルドは1960年代の前半に大きく成長していったが、特筆すべきはそこからスピンオフして新たなベンチャーを立ち上げる開発者がかなりの数に上ったことである。こうしたフェアチャイルドからスピンオフしたベンチャーを、社名をもじって「フェアチルドレン」と呼んだりするが、彼らを中心にシリコンバレー初期の半導体産業の集積は形作られていった。競合相手になるようなスピンオフが数多く出たことについては、親会社であるフェアチャイルド・カメラのマネジメントに問題があったようでもあるが、いずれにしてもシリコンバレーではその後フェアチャイルドだけでなく、他のベンチャーにおいても、そこからスピンオフして生まれる新たなベンチャーがシリコンバレーをハイテク産業の集積地にしていったといっていい。その意味で、フェアチャイルドは正にシリコンバレーのベンチャー、起業家の「ゆりかご」だったわけである。

 日本でもソニーやリクルートなど、新しい起業家を生み出すといわれる企業がなくはない。とはいえ、その数は少ない。しかし、ようやくそこにヤフーやサイバーエージェント、さらには新聞で紹介されたメルカリなどネット系ベンチャーが加わり、その流れはかなり太くなっていっているようなのだ。会社の創業から上場までを身近に見て来た人間が、その経験と知見を活かして自身のビジネスアイデアを基に新しいベンチャー、スタートアップを立ち上げる、そうした循環が日本でもようやく生まれ始めているようだ。

※「THE INDEPENDENTS」2021年2月号 掲載
※冊子掲載時点での情報です